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演劇実験室・万有引力:「アダムとイブの犯罪学」7/6(Thu)

こんにちは。
7月に入ってから気温と湿度が高くなるばかりで毎日疲れますね。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。

先日noteに載せたバカサミットについての記事がtwitterで紹介され閲覧数が増え、主催者側の川田さんやアイスマンさん、シモダさんからもいいねが押されてしまうなど、生まれながらのティガテブ思考のせいで、皆様からのやさしい応援がプレッシャーに感じてしまい次何を書こうか気負っている状態です。

誰かに見せるつもりもなく書いた記事がたくさんの人に読まれてしまい、ものすごく恥ずかしいというのが本音なのですが、これからも周りのことを全く気にせず好き勝手に書き綴っていきますので、あまり期待しないで、楽しんで読んでください。


今日は学校の帰りに下北沢のスズナリで上演していました、劇団天井桟敷の「アダムとイブの犯罪学」を見てきました。
↓今回の公演についてはウェブサイトのURLとポスター写真を載せておくので自分で調べてね!

https://banyuinryoku.wixsite.com/index

ポスターです。
ポスターの裏です。

演劇実験室・万有引力の公演は僕にとって今回が2回目で、半年くらい前に高円寺で観た「寺山版:草迷宮」が始めてです。

寺山修司の演劇の、悪寒、不気味で奇想天外な、ある種の狂気だとか殺気が会場全体に流れながらも、ストーリーの崩壊を感じさぜず感覚的に理解でき、見ているものを決して置き去りにしない、扇動者でありながら誰よりもエンターテイナーであった寺山修司の血液が脈々と流れ、これが生きている演劇だと感じ衝撃を受けた。

アングラ演劇的要素を踏襲しながら、爆音でデスメタルが流れたり、スモークが焚かれたりレーザー光線などを浴びせたり、まるでライブを見ている様な斬新な体験だった。
目の前で役者さんが演技をするだけでなく五感で体感する演劇の面白さを感じた。

今から感想を書きますが、僕は演劇には全く詳しくないです。
上記の高円寺での公演と文学座の芝居を何度か観たことがあるくらいで、批評をするぐらいの眼は肥えていないため、感じたことを淡々と言葉にしていきます。

「アダムとイブの犯罪学」の内容は、インターネットで調べてもなかなか出てこないため、僕が簡易的ではありますが説明させていただきます。

登場人物と配役はパンフレットによると

  • 中年の男(または老いたるアダム)髙田恵篤 さん

  • 年老いたロビンソン・クルーソー 小林桂太 さん

  • 中年の女(または欲深きイヴ) 森ようこ さん

  • その長男(または殺人者カイン) 髙橋優太 さん

  • その次男(または切手蒐集狂アベル)三俣遥河 さん

  • トルコ嬢の見習いの少女 山田桜子 さん

  • 少女(または壁の外の神の声) 内山日奈加 さん

  • 神父(またはコロス)・警察医 加藤一馬 さん

  • 神父(またはコロス)・看護婦 木下瑞穂 さん

  • 神父(またはコロス)・看護婦 伊野尾理枝 さん

  • 神父(またはコロス)・警察医 𫝆村博 さん

中年の男と中年の女と長男と次男の家族がソープランドの上の階で貧しい暮らしをしている。
「林檎」をキーワードとして、自分の欲にまみれ家族の生活が崩壊していく。
年老いて冒険に疲れたロビンソンクルーソーや、都会の狭い生活から無人島に冒険へ行き自由になりたいトルコ嬢の見習いの少女が登場してくることにより物語の層はより厚くなっていく。

・中年の男は「宝くじ狂」で、林檎を食べてから運が悪く、何をやってもうまくいかないそうで、働くのを止め、宝くじが当たることだけを望みながら家庭を第一に思っている男。

・中年の女は年はとっても性的に魅力的な女性で、林檎を食べることと自分の息子に異様な執着を示す「林檎狂」。彼女の狂気が元になり後に家庭に災難をもたらすことになる。

・その長男は家出に憧れる男。家庭(特に母親からの執着)から逃れることを望んでいる「家出狂」。セリフや場面などから寺山自身の分身の様に感じた。
少女(壁の外の神の声)に悩まされる。

・その次男は「切手蒐集狂」その名の通り。

最初は極めて平凡な家庭を描いた現代劇の様に感じたが、物語が進むにつれて一人一人の狂気の全貌が少しずつ見えてくるのが面白い。

相関関係が非常に複雑だか、寺山の残した作品に見られる、家庭論や家出論、性についてなど思想以前の衝動が全体的にまとまっている様に感じた。

家出に憧れ汽車の真似をし、どこまで行きたい、自分の居場所を見つけたいという自由意志のような自我を持ちながら、30歳を過ぎても家庭の呪縛から逃れることができない自己への嫌悪感と狂気を、演劇という媒体を通じて表現しているように感じた。

また、アダムやイブや林檎などの神話から由来するキーワードを現代の家庭生活と重ね合わせることにより、今までの演劇に見られた日常生活の延長としての観劇というものから、大きく壮大な物語で惰性的生活からの解放としての観劇を確立したように思える。

全体的にこの物語は対比論だと感じた。
家出と家庭、冒険と惰性、愛情と執着、憧れと諦め、自由と呪縛など人間の存在における不完全な部分が一つの物語の中に詰め込まれていた。

ソープランドと一家が住んでいる上の部屋とが、天国と地獄の対比や比喩に使われていたのが印象的で、絶対的な存在である神や天国や地獄を、古びたアパートや狭いソープランドに置き換えさせる、そんな寺山の対比論の物凄さに思わず度肝を抜いた。

J・A・シーザー氏の演出も物凄く、場面転換の際に爆音で音楽が流れながら、完全暗転し、次の場面で目の前に何が現れるのか起きるのかが全くわからない状況で、興奮と不安を感じる演劇体験は素晴らしいと感じました。

舞台道具の構成も素晴らしく、神話が元になっている壮大な物語をスズナリの古くて狭い舞台の中で演出するのは容易ではなかったと思います。

また役者さんの身体表現や言語的表現能力の幅広さと力強さ。
狂気をいかに演ずるかは非常に難しいと思いますし、演技の中に人間の個性から由来する複雑さを感じ、セリフを読んでいるだけではなくて登場人物がまるで生きているように感じました。

これからも演劇実験室・万有引力の公演は必ず見に行きたいと思います。

この記事をご覧になっている方の中で、アングラ演劇に抵抗がある方や演劇を見たことがない方はぜひ一度足を運んでみてください。
演劇に対する既存の価値観が一変するような体験になると思います。






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