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今までのこと、これからのこと(大学〜現在編)

どうも、今枝(@ki_23world )です。

前回、自己紹介代わりになればと思い
幼少期〜高校生までの僕をざっくばらんに書かせていただきました。
合わせて読んでいただけると嬉しいです!

読む時間そんなに無いよ!
という方に、概要を下に記載しておきますね。

▼幼少期〜高校時代(ざっくり版)

・好奇心旺盛な性格

・寂しがりで泣きまくった幼少期

・高校の頃に陰口を言われまくるいじめを経験し、人の醜さ、友達に救われて人の優しさを知る

・バンドに出会い音楽が大好きになった高校時代

▼大事にしているマインド

・自分を大事にしてくれる人は絶対に大事にする。(ただ、雑に扱う人は相手にしない

・陰口、愚痴は聞き流すし同調もしない。ダサい生き方

・自分の仕事や自分の能力に期待してくれる人の期待は超えるようにする

いろんなことを幼少期〜高校の頃にも経験し
若いなりに感じた苦しいこと、嬉しかったこと、それが今の僕には大事にしたいマインドとして残ってます。

さて、そのマインドを大事にしながら
現在の僕から少し前の大学時代〜現在に至るまでを
ココでは書いていきます。


音楽業界か成長できる場所か

 大学時代はバンドを演ったり、ライブに行ったりと
かなりエンジョイしてました。
エンジョイするためにバイト三昧の日もありました。
何なら友達と遊ぶというよりかは、バイトと音楽しかやってなかったです。(ちゃんと大学の単位は自分が好きな音楽・写真・映像などを学ぶ学科だったので、しっかりと単位を取って4年で卒業しました。)

そんな音楽とバイト三昧の僕は就活の時に
初めは音楽業界に行こうと就活をしていました。
大手のレーベルを中心に受けていました。
そんな中
『大好きな音楽を仕事にしたら、嫌いになりそうじゃん。。』
そんなことを途中から思うようになりました。

きっと音楽業界にいけば
自分が見たくなかった、見えてこなかった裏の苦しみ、楽しみ、いろんなものが見えてしまうようになります。きっと。
そうなると僕は音楽が嫌いになってしまうんじゃないか?
そんなことを疑問に感じるようになってました。

となると僕が生きたい場所はどこだろう。
何をやっていけばいいんだろう。
就活の半ばで一旦振り出しに戻った感覚になりました。
考えて、考えて辿り着いたのが
『どうせ働くなら成長できる場所がいいな!』
この時の僕は歯車になるのだけは嫌だなと感じてました。
だから、成長できる場所、会社を探してました。

そこで絞っていったのはまず規模感と休日、
そして昔からwebを触ったりするのが好きだったという安直な理由から、web業界に絞って就活をしてました。
数社受けていく中で、無事に名古屋の広告代理店に内定をいただき、そこに 新卒入社を決めました。

単純に働きやすそうて思ったのももちろんですし
説明会で話して下さった営業の方が自分の失敗話をされていて
失敗話を笑い話に変えれるほど強い人でした。
僕もそうなりたいと、その話を聞いた時に思ったのも一つの理由です。

音楽業界を諦め、成長できる場所を探し辿り着いたのは
名古屋の広告代理店のベンチャーでした。
そこから僕の社会人生活がスタートしました。

重圧に負けて逃げの転職

新卒で入社した直後には営業に配属され
今では考えられない、テレアポをやったり、先輩と同席をして打ち合わせに参加したりと、とにかく毎日分からないことだらけで目の前のことをやるのに精一杯の日々でした。

売る商品やサービスのことが分からないとそもそも営業できなく無い?ということで、営業から広告運用者に社内転職しました。
そこからは先輩に助けられて、広告運用の知識を身につけていき(今でもその時、教育してくれた先輩が大好きです。)
・アパレル業界
・施工会社関連
・EC関連 など。
詳しくは書けないですが、BtoBからBtoCまで様々な案件の広告を運用していきました。
媒体も
・リスティング広告(Yahoo|Google)
・Facebook広告
・LINE広告
・Twitter広告
その時、基本的な媒体は経験していきました。

成果を出せれた案件もあれば
成果が出せなくて解約になってしまう案件もあり
悔しい思い、嬉しい思い様々なことを経験していきました。
広告代理店は様々な商材に触れられるので、日々いろんな発見があり楽しいです。その反面、お金を預かってプロモーション活動をしているので責任感を持ちながらできる仕事です。

僕が新卒で入社した会社は途中から
広告運用者が直接窓口に立って提案なども行っていこうという体制になり、運用だけじゃなく、クライアントに提案、日々のやり取りコミュニケーションを取っていく中での楽しさもありましたし、緊張感を持って打ち合わせに臨む時も多々ありました。
今でも緊張する時はもちろんありますが、クライアントと直接話したりできる楽しさは今の僕も大事にしていきたい感覚です。

ある程度業務にもなれていく中で気づけば、次なる新卒社員が入ってくる時期に。
この時に入社してきた方がとても仕事ができる人でした。
僕よりも遥かに吸収力が凄く、成長スピードも早かったです。
そんな方だったので、気づけばユニットリーダーに昇格。
上手く成果が出せない日々、後輩に追い抜かれてドンドンと自分というものが分からなくなっていきました。
この頃の僕はかなり他人と比べていました。比べすぎていました。
人それぞれ苦手なこと得意なことはあるので、必要以上に他人と比べる必要なんてないのに、他人と比べすぎて自信をなくしていました。

そんなネガティヴなオーラが仕事中出ていたのか
ふと打ち合わせが終わったタイミングに上司の方に
『運用者むいてないんじゃないの?』
そんな一言をいただきました。
今振り返れば、やる気を出させるために敢えてキツイ言葉をくださったのだと思えますが、当時の僕は沈みに沈みきっていたのでこの一言で

『あ、、とうとう言われてしまった。。そうだよな。最近、目に見えるような凄い成果出されてないし、後輩にも抜かれて成長スピードもかなり遅いし。。言われた通りむいてないかもな。能力不足だし。。。』
『頑張ろうとしてるのに、何でこんなこと言われなくちゃいけないんだろう。。』

「くそ!負けてたまるか!!」なんていう反骨精神ではなく、
こんなマイナスの感情だけがドンドンと生まれていき
『もうこの仕事むいてない。。辞めよ』そう決断しました。
この決断をするまでの間、大好きな先輩方には沢山、沢山悩みを聞いてもらったりして救われました。(本当に本当に感謝しています)
今でもその先輩方のことは大好きだし、地元に帰った時にたまに会ったりもしてます。(いつか成長した自分を魅せて、ご飯を奢るのが目標です!)

もっと頑張っていればきっと人としても運用者としても成長できたタイミングだったかもしれないのに、僕は『向き合う』ではなく
『辞める(逃げる)』を選択しました。
人によっては逃げではないんじゃないと思われるかもですが、特にキャリアアップのためでもなく、その時の僕は精神科に相談しようと思ったくらいに精神的にしんどくなったのと、上司の方がかけてくれた言葉にやられてしまい転職を選んだので、僕個人としては「逃げの転職」をこの時に経験しました。

当時はマイナスなイメージとして捉えてましたが
今ではこの経験のおかげで強くいれます。
過去の自分ではできなかったけど、
今の僕では大事な大事な経験にしています。

まさかの展開。もう逃げないと決めた自分

逃げの転職をした僕は
1ヶ月間もう一度やりたいことをノートに書き殴ったり、特に何も考えない時間を作って、自分が好きなことだけをやる時間を作ったりしてました。
仕事せずに自分が好きなことだけをやるって幸せだと思ってたけど、刺激がない、苦しいタイミングがない人生は僕にとってつまらなかったです。
そう感じた僕は、退職してすぐに転職活動へ!
1ヶ月間考えた中で出した答えは
『やっぱりwebが好き。この業界が好き』でした。
冒頭にも話したとおり元々はweb業界が好きではなかったですが、
やっていくうちに好きになってました。

転職活動をしていく中でweb会社を数社受けていき
『デザイナー募集』と書いてある会社へ、気づけばエントリーしていました。超ダメ元で。

広告運用者で経験した知識はデザインとかにも使えるし、何かを創り上げることは嫌いじゃないから、ダメ元で受けてみよう!

当時こんなことを思っていた僕から
全webデザイナーの方に謝りたいぐらいですが、ほんとダメ元でwebデザイナーを募集している会社さんに応募していました。

経験とか見られて断られるだろうなーと思いながら
やり取りしていく中で、受けた会社から媒体を通してあるメッセージが届きました。

今枝さま

過去の広告運用はwebマーケティングの業務経験にも興味がありますので、そちらの話も伺いたいと思っております。
(※内容うる覚えだから、イメージです)

『え!まさかの広告運用のことに興味持ってくれた!!
これ広告運用者として、働けるチャンスか!』
さっきも書いた通り、僕はweb業界の仕事が気づけば好きになってました。その中でもやっぱり広告運用を通して、いろんな業界の商材や人に触れる。その楽しさは知ってました。
だから、もう一度広告運用者として勝負できるなら!と、このメッセージをもらった時はデザイナーという選択はもうなくて、広告運用者として活躍させてもらおうとしか考えてなかったです。

そこから無事に今の会社に採用いただいて
僕の2社目。制作会社での仕事が始まりました。

導かれるように動いていったけど
最終的に僕はこの仕事が、広告運用の楽しさを知ってるから、この道を再び選びました。

一人で戦っているのか、独りで戦っているのか

制作会社に採用いただいてからは
前の職場、広告代理店よりも遥かにしんどい道でした。

・そもそも今まで一人もいなかったポジションだから案件が少ないので、自分で取りに行かなくてはいけない。

・会社全体に知識がないので意思疎通に時間がかかる。
 
・相談する相手は言わずもがな、社内にはゼロ。軽い相談からヘビーな相談はせずに自分で乗り切るしかない。
 
・提案〜広告運用、レポーティング、改善案の提案、ほぼプランナーみたいな動きを1人でやっていく必要がある。(これは前の広告代理店での経験のおかげで乗り切れた)
 
・入金作業などお金周りも、自分で管理しなくちゃいけない。

・そもそもアカウント持ってないから本当にゼロから広告事業を立てる感じ。

と、ざっくりまとめるとこんな感じ。
とにかく独りで動いていかなくてはいけない。
その分、自由と責任感は多分、広告代理店時代よりもある状態で常に向き合う形でした。
だって広告事業を1人でやっているから 笑

言い訳も相談もできないので、ほんと自分の力が試される。
でも、僕は広告代理店時代に周りと比べすぎてしまって、一度逃げを選んでいるので、そんな僕にはちょうどいい環境だったのかなと今も思ってます。

この独りで数十件を運用と提案、改善、レポーティングを行うのは今も変わってないです 笑
言葉だけ並べると一部の人には当たり前と思われるかもですが、大体広告運用経験された方に話すと驚かられます 笑

そんなただでさえハードモードなのに
僕は自らもっとハードモードを選んでいきます。

ターニングポイント(21年3月)

2021年3月。
そう、あれは花粉で苦しむ人が増え心地良い風が社内にも入り込んでくる季節。

突然、代表に個別に呼び出しをされました。
「やば。。なんかしたっけ?」と思いながら、代表とのweb会議に臨みました。

代表:『東京、来たい?』
僕:『え、、、????(脳内ハテナだらけ)』
※代表は関東に拠点を置いてます。

そう突然、「東京、来たい?」と言ってくださったのです。
正直、最初聞いた時は「なんで、このタイミング?。
しかも、何で僕なんだ?」と思いが止まりませんでした。

その後、ちゃんと代表の口から
webの社内促進で困っているクライアントがいて、誰かwebに詳しい人が欲しいんだよね〜という話があがっていたという話を聞きました。
そして、僕が前に社内全体に、無謀にも
『東京に行きたいんですよね。東京の方がセミナーとか沢山やってますし、スピード感が早くて魅力感じるから!』
そんな宣言をしていたことを覚えてくれていました。

だからこそ『東京、来たい?』と聞いてくれました。
最初は戸惑ったものの、

『こんな機会ない!絶対ない!!』
『これ無駄にしたら多分、自分は何も変わらない!』
『でも、、大丈夫かな。。マーケの知識もそんなに無いのに…。』

いろんな感情がぐるぐると僕の心と頭を行き来してましたが
僕が口に出した言葉は
『行きたいです!!』
『ちゃんと成果を残せるか、今の業務をやりながら両立できるかなど不安はもちろんありますが、行きたいです!!』
気づいたらそう口にしてました。
後悔はもちろんないですが、『一旦、時間頂いてもいいですか?』と言わないところが僕らしいなと思ってます 笑

そんな決断をしたことをクライアントに共有をいただき
正式に出向することが決定。
しかも出向は2ヶ月先の5月初旬!!
予想できないくらいのスピードで話が進んでいきました。

会社のメンバーにはわざわざ東京へ送り出す会を設けていただいたりして
本当に僕は人に恵まれています。ありがとうございます。

後々、代表に話を聞いたら当初、東京に行くことを止めようかと思っていたそうです 笑
でも、僕は自分で決断しましたし、会社もあくまでも本人が望むなら行かせてあげるという考えをもって送り出してくれました。

そんな超ハードモードを選んだ僕の2021年はかなり大変でした。

思った以上にしんどかった2021年

東京に行くことは決まった。
出向先のクライアントの商材はWeb広告で関わっていたので、行っているサービスやターゲットなどは把握しています。
でも、普段関わっている人はほんの一部の人。
出向した先の社内には本当に多くの方が関わっていました。
事業もたくさんあり、その分の課題もたくさんありで
どこからどうやって手を付けていけば良いか分からない状態からのスタートでした。
しかも僕は第一線で活躍しているマーケターの方や経営者の方と比べたら能力や知識、経験はまだまだ足りない。
そんな中でどうにか力になれるように向き合う毎日がスタート。

残念ながら具体的な内容はここに記載はできないんですが
【普段業務】
・広告の業務(レポート|新規提案|改善業務)
・社内のミーティング
・メルマガ運用
・SNS運用、広報運用

【出向先での業務】
・所有しているウェブページのデータ分析(約50ページぐらいはあると思う)
・各事業部との連携、悩みへのサポート|アドバイス
・SNS運用の支援
・依頼している別代理店との連携
(主にオブザーバーみたいな立ち位置)

ざっとまとめると、こんなことをやってます。
何より最初は普段の業務がかなり削って動いていかなくちゃいけないため
慣れるまでは大変でした。
広告運用者の方であれば月初・月末のあの忙しい感じは伝わるかと思うのですが、あれも少ない時間でやるしかありませんでした。

それでも普段の業務も出向先での業務も
何かしらの期待をして僕ら、僕に依頼をしてくれているので中途半端にはできない。
東京に行って、何も成果残さないのは送り出した自分の会社にも失礼だ。
そんな責任感を感じながら走り続けていました。

とあるタイミングでは体力コントロールせずに走り続けてしまったせいで
心が疲れ切ってしまい、別業種ですがメンターの方に相談し涙を流してしまう日もありました。

僕は自分で選んだ道、
そして一度、逃げた負け犬なので涙は流しても逃げはしなかったです。
ただ、同じ業種の仲間はほしいなと強く感じるようになりました。

出向業務を通して感じたの大きなきっかけかもですが
広告代理店にいた時のようにチームで働く楽しさ、
同じ業種と言うか同じ課でチームとして動く。
その楽しさを久しぶりに味わったので、やっぱりチームで働くっていいなって感じました。

今も出向業務は続いていて
やりたいこと、やらなくちゃいけないこと沢山あります。
上手くいかない日だって、しんどい日だって、楽しい日だってあります。
慣れるまで本当に本当に大変でしたが
僕はこの道選んで間違いなかったと今の時点でも感じています。
少しでも人として成長できていると、
マーケターに少しでも近づけていると思ってます。

これからのこと。未来の話(22年)

まだまだ目の前のやること、やりたいことは盛りだくさんですが
最後にこれからのこと。を話します。

プライベートはここには書きません。
仕事のことをここに2つ掲げます。

・広告運用と分析のスキル(ほんの少しのSNS運用スキル)を武器にして
自分を必要としてくれる人の力になりたい!
企業という壁を越えて、一緒のチームとして働けるコンサル?のような存在になりたい!

・社内、社外関係なしに人を大事にし合える関係で、チームとして働いていきたい!

です!!!

1つ目は出向業務の経験のおかげで見つかったのかもしれません。
広告運用と分析スキルはそこそこ持っていると自信に変えてます。
そのスキル(武器)を活かしてできるのは
ウェブという手段を通して必要としてくれる企業の方、個人の方の力になること。企業であれば売上に少しでも貢献すること。

そうなると広告という一部の手法ではなく
企業全体を一歩引いて見れるポジション(それがマーケター、コンサルなのかな?)になること必要だと思っているからこそ、企業という壁を越えて、一緒のチームとして働けるようなチームのような存在になりたい!
を掲げています!

2つ目はチームとして働きたい!より一層!!
今の会社がチーム感ゼロかと言われたらそうではないと思うんですが
今の会社の広告事業部は僕一人しかいないです。
(制作会社だから仕方ない)
組織でいる以上、部署を跨いだ連携はあるのでチームではありますが
事業部内でのチームで働くということを欲しがってます。
同じ知識で、同じ業種での情報交換を社内でもできると刺激し合える関係性でいれるので楽しいし成長し合えると思ってます。

だから
社内でのチームで働くこと、人を大事にすることをしていきたい

やっぱり自分やチームを必要としてくれる人を大事にしていきたい
たったそれだけです!シンプル!

ここまでかなり長く書いていきましたが
この2022年は
・マーケターやコンサルのようなポジションになるための経験をする。
・チームで働くこと大事にする。|そういう環境でいたい。
を掲げていきます。


長ったらしく過去のことを書いてしまいましたが
これでも書けないことを省いたごく一部になります。
それでも読んでいいただいた方ありがとうございます!!

本当に最後になりますが

僕にとって人生のテーマは
『誰と過ごして、その人に何を与えられるか』

僕にとってマーケターとは
『(適切なPR方法で)ファンを創り続ける』

それを実現できるように
言葉だけにならないよう愚直に進んでいきます!


冒頭で紹介した前編

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