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愛をくれたあの人への感謝


私は未婚だ。だけどトータル5年弱、その間2年会っていなかった彼がいる。
彼との出会いはニュージーランド。お互いワーキングホリデーで同じフラットメイトとして同じ家に住んでいる人の一人だった。
私的には一目ぼれだった。かわいい笑顔の人だった。
私は英語がそこまで得意ではないが、彼はすごく流暢に英語を話し、私が何を言いたいのかじっくりとわかるまで話を聞いてくれる、そんな人だった。
彼はレストランで働いていて、帰ってくる時間も遅い日もあった。
私はホテルの清掃員で働いていた為朝早いことが多かった。それでも少しでも彼と話したい、
How`s today?って聞いて少しでも話がしたい。
そう思っていつでも彼の帰りを待っていた。
そんな中彼が言ってくれた。
「Mai,My job place has many benefits.Look at this .This means we can go to that place for free!」
一緒に出掛けられるなんてなんて素敵なんだろう。そう思った。
ダウトフルサウンドというニュージーランドでは有名なフィヨルドへの日帰り船旅にも連れていってもらった。沢山のイルカたちが船の周りを泳いでいた。
1年を通して7割以上は雨だというその場所で、私たちは晴れた日に見ることが出来た。彼は船酔いにもバス酔いにもなってしまいまぁグロッキーではあったが。
テアナウという場所の光る虫がいる幻想的な洞窟のツアーにも連れてってくれた。綺麗だったけど、彼は北島にある同じような場所でもっとすごいものを見ていたためちょっとうーんこんなもんか、という顔をしていた。
その後彼が働いていたレストランはクイーンズタウンでも超有名なレストラン。TSS号という蒸気船に乗らなければいけない場所だった。
彼はそこのレストランにも一緒に連れて行ってくれた。
地下を見渡せる橋のような場所があったり、TSS号の歴史が書かれている場所があったり。ピアノがおいている場所があったり。
船の中を色々案内してくれた。
何て素敵なんだろう。私は心からそう思った。
レストランでお腹いっぱいたべて、羊の毛刈りショーも見て、帰りの船内でピアノ演奏してくれる方がいた。何曲か知っている曲があったが、その中で私はアメージンググレイスをリクエストした。気分がよくなっている私が小さい声で口ずさんでいると彼は笑いながら聞いていてくれた。
お互いどちらからはっきりと告白という形をとるわけでもなく、、お互い惹かれあったんじゃないかと思う。自然に私たちは一緒だった。
でも私たちはその国で旅人だった。
お互いの国に帰らなければならないリミットがあった。
そんな時約束した。
「Sooner or later ,We need to go back each other. so before we go back I wanna go to traveling with you」
なんとなく、私はこの大好きになったニュージーランドという国で彼にバイバイというのがつらかったので一緒に旅行を計画した。
行先は微笑みの国、タイ。ウェリントンで語学学校で一緒だった友達がすでに帰国しており、滞在するなら泊ってもいいと言ってくれたのだ。

タイでまず私たちは空港でバラバラになった。日本人はビザなく入国できるが、彼の国からタイへ入国するときは観光ビザとしてお金を払わなければいけないため、入り口が別々だったのだ。
すごく不安だった。どこから出てくるの?合流できるの?私が荷物を受け取りその後30分後くらいに彼が遅れて出てきた。
まずはバンコク。騒々しい街だった。ホステルのような場所を予約した。部屋に入った時驚いた。窓もエアコンもないのだ。常夏のタイでだ。
私たちはすぐ受付に追加料金を払うからエアコンがついている部屋に変えてくれと頼み、たまたま開いていた為そこへ変えてもらった。
アユタヤへ日帰りで旅行し、自転車を借りひたすら色んなところへいった。地図が見れない私は彼の後ろをついていった記憶が大きい。
帰りの電車まで1時間は来ないというとき、一匹のなつっこい顔をした野犬がずっと私の後ろをついてきた。
そのときの私は狂犬病が怖い、とか、かまれるんじゃないか、とか考えることも出来ないくらいただただハッピーな人だったので無邪気に犬と遊んでいた。地元の人が犬に自分のごはんをあげようとすると、その犬はそのご飯を無視して私に撫でられに来たのだ。何て可愛い。
その後チェンライというタイの友達の家へ。
すごくかわいくて、笑顔が素敵で優しい大好きな友達の一人。
全力で歓迎してくれた。
彼女がドラえもんの歌を日本語で歌いたいというので、ひらすらに教えていた。それを傍から見ていた彼があきれ顔でまだやってるの?と目で訴えてきたことは忘れない。
チェンライでは色々と彼女と彼女のお父さんが観光につれていってくれた。
花が美しく、彼女の地元というだけですごく居心地がよかった。
その後彼女と別れチェンマイへ。
チェンマイでは3日ほどいたのだろうか。あまり覚えていない。一番覚えているのは、チェンライにいるときに宿の予約をした場所が、空いていなかったということだ。
隣の工場みたいなところのおじさんに、今日たぶんここのオーナーは戻ってこないと思うよ、と言われ、二人で立ちすくんだ記憶を思い出す。
何しろお腹がすいていた私たちはとにかくごはん食べにいこうというとそのおじさんたちが荷物を預かっててあげるからごはん食べておいで、と言ってくれたのだ。
私は何て優しいんだ、と思ったが、彼は怪しいじゃないかといい、キャリーケースだけおいて向かえのごはん屋さんへ来た。
その後荷物は無事で、私たちはカフェへ。
「I go around to find where we stay.so can you wait me here?okay?」
その場で私はカフェで荷物を見ながらお留守番をしていると、白人の長年住んでいるおじさんに声を掛けられた。
そのおじさんとこの町のおすすめや注意事項を聞く。
とにかく赤いバスに乗るときはお金が決まっているからいくらか聞かずに支払えといわれた。聞くと多くもっていかれると。
なるほどなぁと思いながらも30分以上彼が帰ってこないことに徐々に不安になっていった。
1時間後くらいに彼が宿を予約してくれたためそこへ向かった。
私たちが最後に過ごす場所だ。
白い部屋だった。
ビジネスホテルくらいの。
ベッドの上に窓があるがあかないようになっている。日が差し込む場所だった。
タイに来てから私はほとんど毎晩泣いていた。
この旅が終わったら今度いつ会えるのか、わからないからだ。
私の方が一日早く出国することになっていた。
最後の日。私たちは空港で泣きながらマクドナルドを食べた。
「just go Mai.Just be happy.」
それが彼が私に直接かけてくれた最後の言葉だった。
『i`m coming back hotel.you alreadey gone. This place is to big for me』
私がトランジットのためバンコクの空港についたとき、私は彼からのそのメッセージで空港で泣いていた。
もう会えない、いつ会えるかわからない。
今すぐにでも会いたい。
私はあの時ほど日本人に生まれたことを後悔したことはない。
でも日本人として生まれなければ彼に会えなかったという事実もあるのだと思い知っていた。

その後私は友達の東京の家に2週間ほど滞在させてもらった。
寝ていて寒くて起きたとき、隣で寝ている彼が寒くないか確認した。
でも、もう隣に彼はいない。
もう本当に私はそれだけで泣いていた。
でも私はあきらめなかった。
彼といつでも会えるように、何かしたい。それが私の思いだった。
その思いが通じたのかどうかわからないが、彼が日本の大学院を受けてみる、という話になった。
彼が関西にくるかもしれないというと関西で働いてみたりした。
彼と別れてから2年、私は東京、沖縄、大阪、神奈川と色んな土地に住んでいた。色々彼も受けてくれたが受からなかったのだ。
そんな中彼から電話がきた。
「I will give up to go to Japan.」
どうして?
なんで?
確かにもう2年だ。私の思いは変わらない、でもせめて会って終わらせたい。
その思いを彼に告げた。
彼は最後にと、もう一度だけ日本の大学院を受けることにし、何とそこが無事通ったのである。
そこから私は愛知県へ移住し2年間傍にいたいため近くに家を借り、過ごした。
毎日会えたりはしないし、会っても学校の食堂とか、図書館とか、そういう場所しかいっていないなかったが、私にとってはすごく充分すぎるほど幸せだった。
私は彼と出会う前は、あまり彼氏が出来ても一番に考えることはなかった。友達と遊ぶ方が楽しかった。
こんなにも私が人を好きになることが出来るんだと教えてくれたのが彼だった。
今後彼は北海道へ行く。
とても田舎だ。
私が働けるような場所はない。そのためまた遠距離だ。
時差がない、それだけで私は近くに感じることが出来る。
私には私を心配してくれる友達もいるし家族もいる。
それに加えてわざわざ日本まで来てくれた彼がいる。
それだけですごく幸せなことだと感じる。
今後彼と結婚するかどうか分からないが、私は彼との縁を大事にしていきたい。
真的好想你

#私のパートナー

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