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3.11

2011年3月11日
高校の卒業式が終わり、大学入学を控えた春休みだった。その日私はTSUTAYAで借りたオレンジデイズのDVDを母親と見ていた。
これから始まる大学生活に想いを馳せて借りてきたドラマで、これからの自分の人生は楽しい事しか起こらないのだと本気でそう思って浮かれていた時期だった。

14時46分
携帯から聞き慣れない音がけたたましく鳴って、その数秒後に地鳴りがあり家が大きく揺れた。
その時のことはあまり覚えていないけど、雪崩れてくる自分の机のものをせき止めるのに必死だった。少し呼吸も乱れた。
祖父が建てた築古の一戸建てだったから本当に壊れるかと思った。幸いにも怪我も破損も何もなく、そのうち揺れは収まった。

その後、余震が続きそのうちライフラインが全部止まった。情報源が途絶えてしまったので父親の車に家族全員で乗り込み、そしてカーナビでニュースを付けた。
家が津波で流されていてアナウンサーが叫んでいる映像が目に入った。
隣の県で実際に起こってる事と脳が認識できず映画を観ている感覚だった。

ああやっぱりこの世に因果応報なんてものはない、津波に家と人が流される映像を見ながらぼんやり思った。
この中には人を殺してバチ当たった人はいるのかなあとか、こんな目に合わなきゃいけない理由があるのかなあとか考えていた。


そうじゃなきゃ割りに合わなくない?
震災を経験しての正直な感想がこれ。
かわいそう、とか助かって良かった、とかなんでこんなことが、とか、そういう真っ当な感想ではなく「割りに合わない」が私の1番先に出た感想。
「割りに合わないもの」そう思わないとやっていけないとはっきり思ったのがこの日だった。人生に因果応報などない、人生は割りに合わないものってそれ以降ずっと頭の隅に置いて生きてる。

そして今、30を過ぎて人生の約3分の1が終わったけど割合としては辛いことの方が多いと感じる。
いや、本当は楽しいことも嬉しいことも沢山あったけど、私の小さい脳のキャパではでは辛いことが起こると全部上書きされてしまう。

努力して何かを成し遂げて誰かと思い出を作って人生って楽しいって思った矢先に抗えない運命で残酷に死ぬかもしれない人生をあと3分の2も生きていくのがキツい。
楽しかった思い出が辛い事に消されていくのは人生に希望を持たないための防衛反応なんだろうか。


何のために生まれて何をして生きるのか、にずっと迷走している。
楽しかった思い出も忘れたくない思い出も全部しんどい事で上書きされる脳で生きていくのが辛い。 

死ぬ時は、1番鮮明に思い出す事が楽しかった思い出でありたい。今世は割りに合う人生だったんだなって思って死にたい。

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