御伽草子『天狗の内裏』

近世以前の日本には、「剣術流派の開祖が天狗から兵法(剣術)を習った」という伝承が複数ありました。しかし、そうした伝承は江戸時代の知識人によって嫌悪され、それらの伝承が捏造であることを証明しようとする言説がしばしばありました。そうした江戸時代知識人の意見が本当に妥当なものなのかを確かめるために、義経の天狗伝説を中心に取り上げ、天狗伝説の生成と拡大の過程を検討したいと思います。

義経にまつわる伝説が広まった経緯については、古典文学研究の世界で成果が積み重ねられています。そこで、それらの成果を利用しつつ、古典文学において義経がどのように描かれてきたのかを検討し、それらが義経の天狗伝および剣術流派の開祖伝説にどのように影響を与えたのかを考えてみたいと思います。

現存する義経と天狗が交流する物語は室町時代以降に作られたものです。その中で代表的なものは、幸若舞『未来記』、謡曲『鞍馬天狗』、御伽草子『天狗の内裏』です。この三作品において義経と天狗の交流がどのように描かれているか検討してみたいと思います。

『天狗の内裏』は室町時代に成立した御伽草子で、鞍馬山で修行する義経が「天狗の内裏」と呼ばれる不思議な場所に迷い込み、天狗と交流する物語です。

現存する『天狗の内裏』の伝本は主に次の三系統があります。

  • 古写本:主に室町時代の語り本及びその写本。

  • 版本:主に江戸時代以降の版本及びその写本。

  • 十一段本:上記2つと大きく異なり主に十一段の構成になっているもの。

これらの伝本間には内容が異同があり一様ではありません。ここでは古写本における義経が天狗の内裏で兵法伝授される場面を取り上げます。

さて、たいてんくは、座敷をたち、五人のてんくの、たもとをひかへ、いかに申さん、かた〳〵たち、御みたちの、御もてなしには、せんそにつたわる、ひやうほう、ひとつと、このまれたかしこまるとて、しらすをさいて、とんてをおり、ちやうるいすかたに、さまをかへ、かすみに、のつて、とひあかり、四十二くわんの、てんくのひやうはう 、つゝいて、御めに、かけらるゝみなもと様は、ひやうはう、のそみの事なれは、はるかにゆるき出させ、たまいつゝ、よろこひ、たまふは、かぎりなし

天狗の棟梁である大天狗は、義経をもてなすために天狗に代々伝来する兵法を伝授することにしました。配下五人の天狗に命じて姿を鳥類に化けさせ、高く飛び上がったり、霞に乗ったり、「四十二巻の天狗の兵法」を見せたりします。

四十二巻の兵法と天狗の法は、本来別のものですが、『天狗の内裏』においては一つに融合しています。

参考文献
柴田悠帆「『天狗の内裏』に見る「鞍馬天狗伝説」の要素」『詞林』七一号、二〇二二年。

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