市民の敵は市民

市民が主権者だと考えれば、市民が愚かならどうするのかという問題を突きつけられる。
君主が主権者だと考えれば、君主が愚かならどうするのかという問題を突きつけられる。
賢い者しかいない世の中ならば悩みは発生しないが、実際はそうじゃない。

政治家は市民の代弁者であるという見方をすると、政策の賢愚については、その政治家を選び、政策を実行させる市民次第だということになる。
東洋の伝統では世襲の君主が領民を支配し統治するので、領民がどうであろうとも、政策の賢愚は君主によって決まるということになる。

これは、根本的な違いだ。

結局最後まで残るのは、「市民が徒党を組んで他の市民を襲う」ことなのかなあ。「市民の敵は市民」だ。
(2024.3.14)

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