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他人と平等であること、自分を認めること

「○○してくれたら△△してあげるよ」
これは、交換条件。
相手に提示しているものであって、言葉にして伝えて、相手の許諾が得られて初めて成立する。

それらを言葉にせず、心のなかで唱え、それが叶わなかったからといって、結果に対する不満だけを言葉にする人がいる。

別に、心のなかで唱えるのは自由だ。
条件の提示をしないまま、不満だけを言葉にすることが身勝手であり、受け手からしたら、理不尽と言わざるを得ない状況になる。
我儘と捉えられても仕方のない言動でもある。

自分の行動に対して、相手に何かを求めるのは、そこに期待があるから。
明確な何かではないが、自分にとって良いとされることを、漠然と期待している。きっと誰しもがそう。
おそらく私も例に漏れず、そう。

その期待が、見返りと呼ばれるものだと思ってる。

見返りは求めるものじゃないな。と思いつつも、求めずにいるのは結構難しい。その求める見返りもピンキリだ。
「ありがとう」と言ってもらいたい。から、お礼品が欲しいとか、金銭や肉体的なものにまで要求レベルが上がる場合もある。
期待の度合いは、相手にもよることは大前提。

それはそうと、
冒頭の「~してくれたら~してあげる」って、随分偉そうだな?
交換条件の提示にしては上からものを言っている雰囲気がある。
自分で書いておいてなんだが、交換条件を出す側も、出し方に気を付けたほうがいい。
いつからお前が主導権を握っていると思っていた?になる。
良くない。

どんな立場にあっても、一旦は、目の前の人と対等である。と思って行動しなければ、上手くいくものもいかなくなる。

どれだけ通信環境等が整い、デジタルに身を置いたとしても、そのデジタルの先にいるのはアナログな人間であることを、なぜ見失ってしまうんだろうな。
例え画面の向こう側だとしても、「目の前」であることに、何ら変わりはない。

インターネット上に生きる人たちの被害者意識の高さには、もはや関心すらする。(そんな揚げ足の取り方あったんだ!)みたいな感情が、最近湧くようになってきた。
それと同時に自己肯定感の低さが見えて、どうにか視点の変更ができないものかと。少々哀れんでいる私もいる。

そんな自己肯定感の低い人たちに、期待をするのは酷な話。
だがしかし、この手の人たちこそが、他人に多大な期待を寄せる。

他人へ大きな期待をする人は、自分ができないことを他人はできると思っていたり、作業全体の1割程度の働きで、大きな感謝の言葉や、謝礼としての飲食物の提供があるのが“当然”であると思っていたり。
心地よい待遇がなされなかったときには、相手を責め立てる言動を取ることもある。

これは、自己肯定感の低さのせいか、自分自身を褒められない代わりに、周りに褒めてほしかったりする反面、こんなにダメな自分のことを褒めるなんておかしい。と疑ったりする。

自己肯定感が低いと、情緒も不安定になる。
さらには、他人を褒めることも苦手な場合が多く、自分視点でしか物事を言えない思考が強い。

自分ができることを他人ができないと(こんなこともできないなんておかしい)と、物事の難易度を見誤るとともに、「できないこと」を過剰に責めがちになる。

つまり、自己肯定感が低いと、攻撃性が高くなる。
攻撃性が高いと、受け手の心情よりも、自分の快楽を優先してしまうため、不平不満を言葉にすることが増える。

不平不満を吐き出すことは優越感に繋がり、それはストレス発散にもなる。それが自分の快楽。

とはいえ、優越感というのは一時的なものであり、すぐに劣等感へ落ちる。その一時的な優越感を摂取し続けたいがために、攻撃性の高い不平不満が多く発信されることになる。

その言葉、行動が誰のためになるのか。どう作用するのか。
とにかく一度、立ち止まることを意識したい。

誰かに過度な期待をすること、他人を下げて得る優越感に浸ること、自分自身を過小評価すること、結果だけを見て判断すること。
それらをする前に、着地する前に。なんとか振り返りたい。

相手に交換条件を提示するときは、自分と相手は絶対に対等であると信じていなければならない。条件は等価でなければならない。
客観的事実も必要な場面はあれど、対等な相手であれば、多少見合わなそうな条件下でも、互いに「妥当」なら、それは等価になることもあるだろう。

上も下もあるかもしれない。
正直、そうすることで自己肯定感を得られる場合も往々にしてある。

自分が人間で、感情の起伏があることを認めれば、他人も人間である想定ができる。そうしたら、相手にも感情の起伏があるんだとも思える。

すべて違うかもしれない。すべて違わないかもしれない。
人生は、かもしれない運転。


「~でなければならない」のあとに「~かもしれない」を
入れてきているのは、言葉を柔和させたいから。

ただ、
何周しても自分のことを正しく褒められるのは自分だし、
自分の良いとこも悪いとこも、いち早く認められるのも自分。
自分を許すことは、他人を許すことよりも簡単だということだけは、
強く言い続けていきたい。

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