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な日的記 11/1

諸事情によりランダムに選ぶ単語の数を3つに減らしました。
日記的なエッセイ「な日的記」です。

そしてこのエッセイはランダムに選んだ3つの単語を
テーマにエッセイを書いたり書かなかったりする企画です。

インプットを増やしたいのと別のアウトプットをしたいのが理由です。

使用しているサイトはこちら↓

そして今回の単語はこちら、


既読無視

既読無視されていることに気づくためには、メッセージを送った後にアプリを閉じた後、しばらくしてもう一度そのメッセージの画面を見に行かないといけない。

この文字列だけ見ると何か特別な感情を抱いている人のメッセージかと思うが、意外とそうでもなく、「昨日のあの人のYouTube見た?」くらいの気軽な言葉が、構えられなかったミットの後ろに転がってしまうことがある。

しかもこのボールは剛速球でも変化球でもない。そんな何の気なしに投げたボールが取られないからこそ、私たちは強く落胆する。いつの間にか私はそんなに価値のない人間だったのか、なんて。

そうしたら単に寝落ちだったり、他の用事があっただけだったりする。
事あるごとに考えてしまう心を無視したい。

性格

人によって性格が変わってしまう。家族の前、恋人の前、友達Aの前、友達Bの前、初めて会う人の前、そして一人でいる時。

自分の本当の性格は何なのか、考えることがあるが、最近その悩みが一気になくなった。原因は養老孟子『バカの壁』である。本書における主張の一つに、「人は変わる」というものがあり、それを学生にわかりやすく解説した時の言葉が紹介されています。

「君たちだってガンになることがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」

新潮新書 養老孟子『バカの壁』p60

本書における主張では時間によって人間は変わるだろうというものだったが、人前と読み換えて私は安堵した。私は変化していいものだと、私こそが絶えず流れるゆく河であると。

あぁ、私の中の大河の水よ、絶え間なく流れてくれ、激しく激しく流れてくれ、同じ水の留まることを許してはいけない。同じ魚の住み着くのを許してはいけない。そのために、私は大河であり続けよう。

斉場御嶽

斎場御嶽(せーふぁーうたき/サイハノうたき)は沖縄県南城市知念にある史跡。15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされる。「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」ほどの意味となり、これは通称である。正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」という。

Wikipedia

日本は国土が狭いとよく言われるが、その割に人間はかなりの数住んでいるし、遺跡とか史跡とかが多くて驚くことがある。私の家の周りにも少し歩いただけでよくわからない祠や神社がいくつかある。

これに加えてかなりの森林が国土を埋め尽くしている。日本はすごいのかもしれないと、ときどき思い出すのはこういう時で、まるで日本が私たちに主張してくるような気がする。

なんだか不義理な気がするが、太陽のありがたみを忘れるように、やはりこの国は日ごろ感謝するのに向いていないほど大きいのだ。

おまけ

MVが好き。歌詞はまだわからない。




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