モノの見方

というタイトルで始めると少し大げさなのかもしれない。

昨日の金曜日21:00からの映画はいわゆる戸を締めるおはなしだった。(どの程度書いていいんだろうか)


初めてその物語を映画館で見たとき、中盤から涙してしまい、(しかもそれが人生で初めて泣けた映画だった)いつしか一人でリピートして、展示会にも足を運んでいた。故に今日のテレビ放映も楽しみにしていた。

放送が終わり、ふとTwitterに目を落とすと自分とは全く違う視点の厳しい意見(感想)。
自分がいつも感情移入していた主人公の少女がまるで貶されるかというものには、そうなんだけれどもそうじゃないという自身まで複雑な心境だった。

時間が経つと、不思議とその視点もわかるようになってきて、けれども納得できない自分もいて。
含みが持たされているアニメ映画は、細分化すれば一人ひとりが全く違う視点から解釈を持てるもので、それを成り立たせるためにはどうしても“比較”が必要不可欠。先述した感想を書いた人がたくさんリツイートしたものがTLに流れ続け、それはまるで自分の解釈が否定されているような気分になり、普段大半の時間を過ごしているTwitterをそっと閉じた。

アニメ映画など特に、場面に対する解釈の明確な答えはないと思う。なくていい。
しかし、違う答えを受け入れられなかった自分には少しモヤモヤが残っている。

答えはたくさんあるけど、自分が思う一つじゃなきゃいけないのか。そうじゃないと納得できないのか。わからない、うまく言葉にできない。


テレビ放映は、映画館での上映期間とは異なり、見て受けたままの感情が一気に共有される。
自分がその映画についてどう思ったのか、どこが残ったのか、いわゆる余韻に浸り、映画を見るという一連の出来事(経験)が終わるわけではない、少し不思議な体験だった。


p.s.スマホで書いていると思いの外文量はかけないけど、パソコンでやろうとすると1日も持たないし、思ったことはその日に書かないと忘れるので駄文を少しだけ書いてます。
この作品はまた見ると思うので、その日にまた見返せたらいいな、と。

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