めぐり愛 前半

おもえばわが第二の人生のかがやき、2017年の12月頃からその兆候をみせていた。

真新しく、楽しくてしかたなかった。ひとり興奮しながら睡眠不足気味だった。まったく予期していなかった状況の真っ最中、コレを書いた。

その前夜、実験音楽と映像の巨匠であるフィル・二ブロックのスタジオでお手伝いする機会を与えられたのだった。

最後にフィルに会ったのは、2020年の彼の誕生日。なので、いまだ音楽を聴きには行っている。でもバイトはそれが最初で最後の日だった。それもこれも音楽と人がつないでくれた「不思議な体験」。そう今はは受け入れている。


「ロフト」と呼ばれる巨大な用途混合スペースが彼の住居兼、スタジオだ。そのスタジオの前方に取り付けられている「ロフトベッド」がある。そこへあがる階段が取り付けられていた。寝床だけでなく、大人が立ったままで歩ける高さの部屋になっていた。

異常な地価高騰が進んでいたマンハッタン。その街にこんな場所がまだ残っていた。そしてそこで生活を営んでいるアーティストが実在している。目の当たりにして感激した。


白く塗られたレンガの壁。ところどころ木の板がはずれかけ、クギも飛び出している高い天井。自然に出来上がったここのルーム・アコースティックは最高。

沢山の音響や照明機材。フィルの手作り第1号スピーカーも部屋の一角に置かれている。その対角の壁面には所狭しと並べられた工具や材料が並んでいる日曜大工コーナー。

この空間がコンサート会場に変身する日、必要となる重ねられた折りたたみ椅子。機材につないだ太めの黒いビニールの配線が床のいたる所に絶賛散乱中。注意散漫で歩けば、コードの束で足を蹴つまずく。全てのモノが一見、無造作に置かれているようみえる。

大きなテープのリール。キッチンにある丸テーブルの上に散乱した書類や栓抜きやあらゆる国から届いた、こしょうや塩。なのに、いつもそこは「片付けないで。」と言う本人。どこに何があるのかを把握できているのを逆に感心してまう。


フィルの過去の作品をアーカイブする為、美術館から担当者が映像資料を取りに来る。その前に大量の映像フィルムを新しい箱へ移し替える肉体労働が与えられた作業内容。

プラスチックシートが敷かれた大きな合板をのせたテーブルがすでに用意されていた。その台の上で、平らになっている箱を広げ組み立てた。その底面を木工用のりで接着してから乾かし、段ボールを30箱以上作った。

ここで行われてきたコンサートのひとつひとつは、フィルによってキュレーとされ、記録されてきた。その映像に収められたたくさんのアーティスト達がいる。そのテープが入っている正方形のほこりをかぶった底が浅い箱。膨大な数のリールの入ったその箱が積み重ねられていたロフト後方の壁面。

そのリールの箱には彼の手で記された日付があった。各箱の背には様々なアーティスト名が読み取れた。それを見ながら入れ替えていたその瞬間、『ウンワ〜出たよ〜』と心の中で叫んでしまった。

ニューヨークのダウンタウンのアートシーンの申し子。たくさんの素晴らしい音楽を生み出した「アーサー・ラッセル」の名前を発見。何故かいつも通りにアイフォンにおさめられなかった。

若くしてエイズで亡くなったアーサー。彼はこの場所で演奏した。その日の貴重な映像のリールに、おもわずナマツバを飲み込んだ。

48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。