見出し画像

2023年2月13日〜20日の一週間

先週はホント目まぐるしかった。
ほぼ毎日違う人に異なった件で会っていた。

その時起こったことが肉体的にも精神的にも尾を引いているので、
頭の中を整理するために書いておく。

13日(月)午後1時半
ウォール・ストリートでアーティストとのミーティング。彼女にはコラボを頼まれた。ズームミーティングという選択もあったが、高層ビルの中にあるスタジオへ訪れた。差し入れに持っていったアイスクリームをそこで食べたのは私のみ。プライベートなスタジオではなかったので会話するのに適した場所ではなかった。周りのアーティスト達は皆ヘッドフォンを着け作業をし静まり返っていた。DJとして参加する身だが、既に私がやっていることの方が多過ぎるので続けるべきか自答中。

14日(火)午後1時
ウェストビレッジにあるアーティスト宅でハウスキーピングの仕事。帰り際、ボスからバレンタインデーのイベントへ主人と共に招待された。地元ピッツバーグから戻ってきたばかりの主人の体調も機嫌も悪かった。カレンダーに書かれた「特別な日」など信じないと繰り返した。デリで買ったチョコレートは、金曜にスタジオへ持っていって自分で食べた。

15日(水)午後7時
ウェストビレッジでシネマフェスを運営するプロデューサーとのミーティング。ド素人の私がショートフィルムを作る試みに向け、プロからの貴重な助言を与えられた。シネフェスのコンセプト、コンテンツ、尺の長さ、締切日、画質や音声など、多忙な合間に色々と教えてもらったお礼にピッツバーグ土産のアーモンドチョコの袋を手渡した。ちなみに、映画作りが、今、一番自分の興味あること。

16日(木)午前11時
ウェストビレッジでロンドンから訪れているDJとのランチ。相手が指定した待ち合わせ場所は、偶然にも昨夜と同じダイナー。NYUの学生時代によく利用したという理由だった。渡米前から幾度か連絡が入っていたので何かある予感はした。結果、予想の5倍以上の勢いで涙ながらの話が繰り返された。近年、パリピン子をセミリタイアし、制作活動にフォーカスしていた私。相手いわく、札幌で一緒に露天風呂に入って話したのはもう5年前らしい。その頃に比べ、私のモノの見方は完全に変わっていた。

途中からパンケーキが喉を通らなくなり、そのうち偏頭痛に襲われた。店をでてから気紛らわせに、イーストビレッジのレコード屋へ立ち寄った。その近所にある友人のスタジオへも寄り少し話しをした。9月に個展を控えているアーティストなので長居を避け、夜7時から始まる映画を観るため、6時に退散した。長かった一日の最後のイベント会場に辿り着き、ホッとしたのか上映中、最初の方で少し寝落ちしてしまった。なのに荷物を置きがてらその後、自分のスタジオへ向かった。

17日(金)午後1時
ウェストビレッジにあるアーティスト宅へハウスキーピングの仕事。ボスは近所のYMCAへ泳ぎに行った。私が仕事を終える4時近くに帰ってきた。ボスのお気に入りの粉末洗剤が少なくなっていることを伝えたら、自分が調達すると言った。その直後に、「ジキルとハイド」を見ているよう、話が一変した。私を雇うお金がかかり過ぎやら、映画撮影の予算がかかり過ぎやら、三ヶ月後に撮影を終えたら戻ってきて欲しいやら、最初の面接時の約束とはまったく違う内容だった。さすが俳優業もこなすだけあって、一方的な理由を並べた上、「仕事の出来高」を逆にバカ褒め。そのアクティング作戦に困惑させられないように平常心をキープしている間に、あっけなく仕事を辞めさせられてしまったではないか。

動揺を隠せないまま、コラボ相手である巨匠のチャイナタウンの家へ向かった。イタリアでリリースされたばかりの深い赤の木箱に入った特大ポスター付きの赤いレコードの2枚組アルバムを見せてくれた。映像を撮る機材を検討に関する質問をしていた。7時からブルックリン・スクール・オブ・ミュージックであるコンサートへ誘われたが、以前の仕事先へ思い立ったが吉日、立ち寄ることにした。幸いにも週一で働かせてもらえることになっただけでなく、マネージャーとバイトの子と3人で一緒に夕飯も付き合ってもらい癒された。

18日(土)午後1時
今週はじめてスタジオで一日を過ごした。改めて仕事がなくなる前により大きなサイズのスタジオを借りなくてよかったと改めて思った。帰り際になって、スタジオの模様替えを始める。今年になって様々なことをしているが、考えが全くまとまらなく、進行形で思考も行動も変化し続けている。DJと言うだけで新しいコラボもOKしてしまっている。幸いにも、日々、レコードを聴きながら、eBayとYouTubeの更新は続けら、その成果としてセールスは確実に上がっている。でも朝のヨガは最初の15分セクションのみに滞り、レコードをアーカイブすることさえもままならない。以前にも書いた一週間のスケジュールをまず作らないと何もまったく始まらなくなっている状態に陥っている。

19日(日)午後3時
木曜にランチしたDJのパーティーに招待されてスタンダードホテルに向かう。寒い中、観光客か一見客が長い列に並んでいる。ゲストリストに入れてもらい助かったとフト思う。ドアに立っていたシャレオツな男の子に挨拶し尋ねた。私の着ているピンクのヤンキー特攻服とアラレちゃんキャップを褒めてくれ、IDもリストもチェックせず、スグに反対側のドアを開けて中へ入れてくれて大感謝。懐かしい人達と今年初のダンスに楽しくなり、ガラス張りに見るスカイスクレーパーの向こうに沈んでゆく夕陽が美しくみえた。

14丁目のクロスタウンのバスでイーストサイドへ移動したのは午後7時前。今回の周年パーティーは50周年の時同様、地下のステキな小部屋も開放していた。そのダンスフロアへベイビーパウダーを巻いたダンサーのアクションをきっかけに、7、8人が入り混じって踊った。会場に入った時もキラキラサウンドに釣られ耳を澄ましていると、どこからともなくいつものグレイテストダンサーの一人が現れ、ふたり渦巻きのように舞った。

20日(月)午後3時
最初の15分セクションのみヨガを済ませスタジオへ来たが、パーティー廃人化した私はもちろん使い物にならなかった。日本に住む友人に電話して、今週起こったことを断片的に話してメタ認知した。

それよりも何が起こったといえば、21日(火)にリッジウッドの貯水地へバードウォッチングへ行った時のことだった。昨年末に左足を激打して痛めている上に、ダンスで左足全体が筋肉痛になって、引きづりながら歩いていた。自動車の侵入禁止用黒い鉄のポールの一つが外されていた。地面に埋められているそのポールを入れる短い黒い鉄の筒につまずき、一瞬にしてこけた。手もつかず顔面を直撃して打ち、メガネは壊れ、左頬と鼻と唇を歯茎あたりをコンクリートにぶつけて腫れあがってしまった。さずがに前回の左足とは違い。今回は氷で一晩冷やすものの、今ハグされると顔が痛い。

やはり普段から「継続」がないと何にしろ続けられないモノだと痛感した一週間。


















48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。