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【軍神】マルス源義経

鎌倉殿の13人の影響を受け

そして昨日読破した司馬遼太郎著『義経』

それらを参照し、軍神 !! 源義経について記述したいとおもいます

義経といえば

もちろん推しも推されぬ日本史きっての英雄

平家を滅ぼした源氏の武将ですが

盲点になっていたさらなる義経推しポイントが

両作品によって露わになったので、それを記述いたします


そもそも全てが薄氷の勝利だった!?

これは義経の頼朝鎌倉政権内の立ち位置が関係しています

棟梁頼朝の弟とはいえ、政権内では他の御家人同様

1家臣にすぎません

あくまで頼朝の代官として派遣されています

義経直属の家臣団はともかくとして、

それ以外は鎌倉頼朝から派遣された坂東武者たち

頼朝自身、坂東武者の統制に苦慮しているのに

義経のいうことを、そうたやすく聞くはずがありません

要は何が言いたいかというと

後述する全ての平家との合戦において

意のままに操れるのは義経直属の家臣団、およそ100名程度

ということです

他、頼朝の家臣団が何千人、何万人であろうと

実は義経の意のままに動いたわけではないということです

つまり義経の家臣団100名程度で、歴史に名を残したわけです

平家を滅ぼしたわけです


一ノ谷の合戦

まさしく山から降ってきた義経が

平家の虚をつくことに成功し

これがきっかけで、平家軍が総崩れするわけですが

世に有名な崖から馬で降りるくだりですが

まさしく、こんなことをしたいとおもう奴はいません(笑)

誰しもが二の足を踏むわけです

頼朝直属の坂東武者はもちろんのことながら

義経直属の家臣団ですら

「殿なにゆーてますのん…」的な(笑)

義経が一番乗りしなければ、誰も行くはずがないですよね(笑)

あと、一ノ谷までの経路

関西にお住まいの方はわかるとおもいますが、

京から亀岡に入り、以後はずっと山道

要はいまの171号線(西国街道)を走らず

(この経路は平坦な道)

要は京都~一ノ谷までずっと山道

と思っていただければ(笑)

で、義経なんで行軍速度も鬼早なんです(笑)


屋島の合戦

こちらも伝説含みです(笑)

本州から四国に上陸の際、

平家の虚をつきたい義経は、

あえて荒天の日に舟を出させます

これは簡単にいうと台風レベルのものすごい日だったみたいです(笑)

船乗はもちろん操縦を拒絶しますが

そこを反社バリの圧力で舟を出させます(笑)

こちらは一ノ谷以上に、鎌倉団は着いてきません

くるはずがありません(笑)

義経直属の郎党でも相当ためらったらしいです(笑)

結果は義経のよみ通り、通常の1/2の時間で四国上陸に成功

そしてもちろん平家は嵐の日に舟が出てるとは思わず

そもそも義経の上陸すら知らない状態での合戦となります

ただ、この屋島合戦は、上述のように義経の家臣団のみで

先陣をきったので、虚をついたものの、後に相当苦労したようです


壇ノ浦の戦い


上記2合戦に比べると、義経はおとなしめです(笑)

水軍戦では平家が有利とわかっている義経は

まさしく冷静に情勢分析につとめます

・一隻でも多くの舟を用意する

・壇ノ浦の潮の流れをつぶさに研究

・強いて言うなら、平家側の船乗めがけて矢を放った


おわりに

珍しく、長文となってしまいましたが

ここまでお読みいただきました方は

本当にありがとうございます。

冒頭からの繰り返しになりますが

義経は常に寡兵をもって、平家と対峙し、

であるがゆえに、策を弄し、勝利を収めた

頼朝鎌倉家臣団は常に戦局をみての日和見だった

そんな寡兵をもっての平家滅亡を成し遂げた義経こそ

まさに軍神!!

源氏の守護神

八幡の神の生まれ変わりかと!!

ご精読ありがとうございました(ぺこり)



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