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レスポンスとエネルギー循環

百姓をカッコよく!中川吉右衛門です。

まず、
『返事を書く』とか
『エネルギーを回す』
ってことを、自分の中で大それたものにして、
自分で自分の行動のハードルを上げちゃってる人
が多いな、と常々思います。
 
僕は別に、読んでくれてる方一人ひとりに、気の利いたこととか、含蓄に富んだことを返して欲しい、なんてことは思っていませんし、そんなことは一言も言ってません。
 
単純に、
『エネルギーのキャッチボール』として
【血の通ったコミュニケーション】をしたいんです。
レスポンスが欲しいんです。
  
Responsibleであること、
これって英語で言う『責任』ですよね。
 
自分の人生とか自分が経験する現実に、自分で責任を持っている人ほど、物事へのレスポンスがいいんです。
行動的ってのもそうですね。
 
行動ってのは、自分が経験している現実に対する
レスポンスなワケですからね。
 
これ、普段の身近な人たちとのコミュニケーションにも通じるので、自分事として想像してみてください。
 
自分が近しい人たちに、近況報告とか、最近あったおもしろいこととか、体験した楽しかったこととか、そういう経験の中で得られた気づきとか、
学びとか、視界が変わった経験とか、相手のためになる話だと思って、そういうことをたくさん語りかけてるのに、相手がまったくの無表情で無言でいたら、あなたはどういう気持ちになりますか?

情報発信を日々やってると、時々そういう感覚になることがあります。
 
メールとか対面とか、全く関係ないです。
 
コミュニケーションをとる上で、相手のレスポンスがなければ、エネルギーが回るはずないですよね??
 
そこに、気の利いた『返し』なんて求めてないんです。
 
普通に、目が合ったときに笑顔をくれたり、話のリズムに合わせて相槌をくれたり、興味のある話なら、身を乗り出してきたり、自分の考えと合わないのなら、そこでちょっと口を挟んだり。
 
そういう反応がないと、会話の【場】にエネルギーは循環しません。

恋文でもチャットのコミュンケーションも同じです。
 
僕とチャットでやりとりしてる人ならわかると思うんですが、僕はいつもいつも長い話ばかりしてるワケじゃありません。
 
『言いたいこと』があるときは長く書きます。
 
でも、そうじゃないときは、
ものすご〜くシンプルに短く返すことが多い。
 
ときには、スタンプを押すだけだったり、
一言だけ書いてたりします。

でも、そんなに短いメッセージだったら、書く意味ない、とか思いますか?
  
たとえば僕が送る、
👍

というスタンプには、文脈に合わせて、

『おもしろいこと言うね』とか、
『さっすが〜』とか、
『いい感じだと思います』とか、
『あなたの考えに賛同します』とか、

そういう意味が込められてると同時に、

『返事は要りませんよ〜』

という意味も込められてます。
 
あなたの言うことをきちんと受け取って、
それに対してうれしいポジティブなエネルギーを感じてます。
 

そういうことを伝える一方で、伝わればOKなので、あなたに返事を書いてもらう時間や手間、
エネルギーコストは求めてませんよ。
 
というメッセージを込めてるんです。
 
こういう短いメッセージを相手に送るのと、
 
相手のメッセージを読んで、
『うわぁ、いいものを受け取ってしまったから
 しっかりと返さなきゃ〜』

とか考えて、文面を考えてるうちに機を逸してしまったり、いろんなものごとに流されていったりして、結果的に、何もレスポンスがなかったとき、相手がどういうものを受け取るのか?
 
その【コミュニケーションの場】を『エネルギー循環』という観点で観たときに、どういう『違い』が生まれるのか?
 
を考えてみてください。
 
 
レスポンスがないのは、『死んでる』のと同じなんです。
ネットだけじゃないです。
 
ネットで
『死んだコミュニケーション』
(エネルギー循環を自分で切ってしまう)をとっちゃう人って、大概、日常のリアルなコミュニケーションの場でも、自分のところでエネルギーのキャッチボールを終わらせちゃってる場合が多いです。
 
何かを受け取って、それに対する反応(レスポンス)を返すときに、『余計な思考』を挟んじゃう人が多いんです。
 
そのせいで、その場のエネルギーが死んでしまいます。
 
上の方でも書きましたが、

責任:Responsibleとは、
反応(Response)を返すことのできる能力(Ability)

です。
 
自分の人生に、本当に責任を持つ人は、『打てば響く人』なんです。
 
でも、打ってもまったく響かないか、自分の中でグルグルさせて、ズレたタイミングで返しちゃう人が多いですよね。
 
そりゃ、エネルギー回りませんよ。
 
エネルギーを回すのがヘタな人は、自分のとこでそのエネルギーを止めちゃうから、『宇宙が自分の味方をしてくれている感覚』を持てずに生きている人がほとんどです。
 
そういう人はスピリチュアルとか自己啓発にハマって、いろいろと思考の部分で悩んでグルグルしてしまいますが、そうなると、さらに目の前のことが見えず、レスポンスを返すのがヘタになっていきます。

リアルなコミュニケーションとか人間関係の場でも、空気が読めなかったり、場の空気を壊すズレた発言をしてしまうとか、レスポンスを貯めに貯めて、自分の中でグルグル回しちゃってることが
原因になってることが多いんです。
 
レスポンスよく、軽やかに、を心がけないと、
どんどんキモいコミュニケーションをとって、
周りから距離を置かれるようになってしまいます。

でも、シンプルなんです。
 
なにかに反応きて返事を書くときに、
ちゃんと『言いたいこと』があるなら、熟考した長文を送ればいいです。
 
そもそも、そういう『言いたいこと』がある人は、誰かに『書いて』って言わなくても、勝手に書いて送ってきますよ。
 
でも、そうでもないなら、
普通に、『読みましたよ😀』とか
『今日の、いい話でしたね〜』とか、
『◯◯のところが響きました』とか、
 
その程度でもいいんです。
 
 
そういうコミュニケーションに意味がない、
って思いますか??
 
少なくとも、僕はそういう返事を受けたら、ちゃんと自分が発したエネルギーが、その人の中に浸透した上で、自分の元に還ってきたことを実感できます。
 
それによって、自分がやってることに『価値』を感じることができるし、それによってエフィカシーが高まり、もっともっと役に立つこと、
喜ばれることを発信していこう、という気にもなります。
  
その結果、次の記事で書くことの質が高まり、今度は、レスポンスした人が、自分の短いシンプルな意思表示のエネルギーが、僕という器を満たした後、自分の元に還ってくることを実感できるはずです。
 
『私のレスポンスのおかげで、BOSSの気が良くなって文章のノリも質も上がってる!』
 
くらいに思っていいんです。
 
人生、何事も気のせい&思い込みなので。
 
 
恋文でも対面のコミュニケーションでも、
普段から、そうやってキャッチボールができてない人が、受け取るだけ受け取って、そのエネルギーを自分の中でグルグルさせてヘンな方向に増幅させ、どこかでいきなり爆発させて、とんでもない長文を送ってきたり、思いっきり感情をぶつけて来られたりね。
 
その人の中ではつながってるのかもしれないけど、外から見たらまったく筋道も文脈も見えない、支離滅裂な主張になって出てきたりして、
【場】を破壊するエネルギーになるんです。
 
受け取る側は、
困惑するしかないですよね?
 
だから、些細なことでもいいので、できるだけ省エネのアクションで、受け取ったエネルギーを
きちんと次の人に回すような行動習慣を持った方が良いのです。
  
レスポンスしないのは、
受け取ったものを自分の中に溜めて、気の『淀み』とか『閉鎖した悪循環』を生み出す元になるんです。
 
病気とか体調不良も、そういうことが原因になるし、運気の乱れも起こるから、事故とかのアクシデントも引き寄せられるし、人間関係のトラブルとかの種も、そういうところから育っていくのです。
 
自分のちょっとした意思表示が、相手や、自分の生きる世界:宇宙にどれだけの種をまく行為なのか。
 
自分のアクション、レスポンスひとつで、
他人の中、自分の中、宇宙の中にどういう変化を巻き起こしていくのか?
 
これは、抽象度を上げた俯瞰視点、宇宙の考え方を持てば、因果の糸がつながって観えてきます。
 
オーラとかエネルギーとか気の流れを、目で視覚的に観る必要もありません。
 
抽象思考ができれば、縁起の糸は誰にでも観える。
 
 
ちょっとした【気遣い】と【想像力】、
それだけです。
 
スピリチュアルでサイキックな能力なんて要りません。
と言うか、そういう【気遣い】と【想像力】のことを、スピリチュアルなパワーとか、テレパシー能力って言うんです。
 
なのに、実際のとこ、スピリチュアルとかテレパシーとかって言葉が好きな人のほとんどが、実際に対面してみると、自分本位で他人への配慮や気遣い、想像力をうまく活用できてない人ばかり、
だったりするのが、悲しい話です。
 

大切なことは、手の届かないとことか、魔法的に観えるところにあるんじゃなく、当たり前の日常の中にある、という認識をもっていきましょう。
 
 人として当たり前のこと、
人として恥ずかしくないことを心がけて生きる。
 
それが心を込めて生きること、
魂と自然と宇宙を一体化させて生きることだと思います。
 
 CIAO!

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