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「参拝作法」なぜ「二礼二拍手一礼」なのか?

こんにちは。橘吉次たちばなきちじです。
年末年始の激務も、三が日が終わりひと段落です。
身体クタクタながらも心は清々しい!
三日間、初詣ご参拝の人々を見ていて感じたことを書いてみます。是非お読みいただきたくお願い申し上げます。


バッシっと参拝!に恥じらう日本人


年明け深夜から、長蛇の列となる初詣参拝の人々。
普段神道とか神社とか、あまり興味のない人でも「初詣行こう!」という人は大勢いらっしゃる。
コロナ禍で削減したとはいえ、初詣参拝者数ランキング一位の明治神宮では、300万人近くの人が初詣に訪れるという。

300万人だよ!
ものすごーい人数だ。

この初詣参拝の人数の多さと、
「神道ってなに?よくわかりません」
という、日本人一般の神道理解度の落差は激しく、
日本人の7割が「無宗教を自認している」というデータ数値と矛盾する。

これは、
「とてつもない、ゆゆしきこと」とも
「ニホンジン、ヨクワカラナーイ」とも
「だって、初詣はシーズンイベントでしょ」とも、言えるのだろう。

この現象を考察するには、今夜は時間も体力が足りないのでやめるが、一度じっくり書いてみたい内容ではあるよね。

毎年のことだが、綺麗に2列体制で長蛇の列をつくる日本人の民族性は素晴らしい。
寒空の下、割り込みも文句もイライラもなく、参拝待ちに並ぶ人々は穏やかな笑顔を浮かべている。

神社は平和だよなー。

ところがだ。
やっと順番が来て、賽銭箱の前に立った参拝者の多くは、何故かためらうのだ。
恥じらうと言っても良い。

「えーっ、どーすんだっけ?」
「二礼だよ、二礼」
「で、手たたくんだよ…」
ヒソヒソ…

お辞儀もぎこちなく、まるで子供の挨拶のようだ。
ペコペコ。

すんません。
作法を知らない日本人と批判しているのではないのです。
だって数年前の吉次だって、そうだったから気持ちスゴクよくわかるのです。

ビシッと二礼して、
パンパンと柏手を打って
再びバシッと、お辞儀をする。

たったこれだけの作法なのに、どうにもコソバユクて、
なんか恥ずかしくて、
おしりがムズムズするような落ち着かない気持ちになるんですよね。

どうしてこんな恥ずかしいような気持になるのか?
私、色々考えましたよ。
何でなのか?

これ、自分の中途半端な宗教心と無意識に向き合っちゃうからなんだよね。

・神様には真剣にお願いしたい
・私は無宗教だ
「あれっ?何か私、矛盾してない?」ということに、気づかされてしまうんですね。
だから、恥ずかしいんだよ。

そんな参拝者を見ていると、気の毒になってしまう…
「いいのよ、いいのよ、恥ずかしがらなくても」と声をかけたくなってしまうのですよ。

そうなんです。
恥ずかしがらなくていいのです。
仏教徒だろうと、無宗教者であろうと、この日本国土に住まえる人ならば、全員神々の恩恵を受けて生きているのですから、堂々とご挨拶なさればよろしい!

えーっ、堂々と?
でも、作法なんて知らないし…

簡単よ。
二礼二拍手一礼なんだから。
でも、作法よりもその意味を知って欲しいのですよ。
意味を理解すれば、恥ずかしさは半減するからね。


何故、二礼二拍手なのか?


結論から申し上げます。

これは、天津神と国津神の両方に向けての礼法です。
まあ、説はいろいろあるし、
学術的裏付けはとれておりませんが、一番納得できる考え方だと思うのですよ。

まず、天津神に一礼
次に、国津神に一礼

拍手とは、相手に敬意を表すときの古い古い礼法。
なので、
天津神に、一拍手
国津神に、一拍手
するんですね。

天津神とは、神話において高天原になる神々のこと
国津神とは、この日本国土に既に存在していた神々のこと

これを
天津神=太陽・月など宇宙規模の神々
国津神=大地・海・山・川などの地球の神々

と理解することもできるし、

天津神=いわゆる渡来系の弥生人
国津神=日本土着の縄文人
という考え方もできる。
つまり、日本人のご先祖様に向けての作法ということになる。

もっとオリジナルでもよいかもしれない。
八百万の神々と、わが身に宿る内在神、それぞれに二礼二拍手!でもいける。

とにかく、二礼二拍手一礼の作法はついこの間、明治新政府が決めた作法なんだから、ガチガチに考える必要はない。
自分に一番腑に落ちる理解をすればいいんじゃないかと思います。

むしろ作法の形式に囚われて、心がこもらない参拝にならないように気を付けた方が良いと思う。

こんなこと書くと
「神社の御祭神に参拝しているのに、天津神国津神にご挨拶とはこれ如何に?」というご批判もあろうかと思う。
もちろん、あなたの中に御祭神を敬するお心があれば、御祭神にご挨拶なさればそれでよい。
最も良いと思います。

でもね、神道よくわからなくて、御祭神名も知らないし、読めないし…という方にむけて、この記事書いております。
どうかその旨ご理解ください。


作法とはこころだ!


最近SNSあたりでは、
「開運のための神社参拝作法!」とか
「参拝NG7選!だから願いが叶わない」とかいう情報が飛び交っている。

もちろん、定められた作法は守るに越したことはないが、作法を守れば願いが叶うというものでもない。
作法はあくまで作法だ。

それよりも何よりも、
まず自分の心と向き合って参拝をしていただきたいと思う。

太古日本人は自然の波動に神の顕現を感じた。
これが神道の始まりだ。
人間とは自然生物。
自然の一部だ。
だから、神とは祈りの対象として人間から切り離されたものではないのですよ。

ここをわかっていただきたいのだ。
あなたの心と分離した神など存在しない。
あなたは既に神の一部だし、神はあなたの心に存在するのです。

まずご自分の心と向き合って、心の一部である神様にご挨拶してほしい。
それが先。
作法はその後の話です。

どこぞから、怒られそうなことを書いているが、神道の真髄は自然循環の中で人間がイキイキと生きることにあると考えている。
イキイキと生きるには、心が清浄で曇りなく、命に感謝することが必要だ。
そのために宗教的な物語や宗教的な考え方が存在するのだと思う。

初詣はおすみだろうか?
まだなら、いやこれからでも、ご参拝の時にはちょっとこの記事を思い出して、自分の心と向き合ってご参拝をして欲しい。

きっと落ち着いて、ビシッと参拝できるようになるはずです。

ではまた


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