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私は私が知らないということだけを知っている。〜Vtuberという文化に触れた話〜

「ハイブランドなんか苦手」に通じる話のような気がするので、ちょっと書いておこうと思う。

最近Vtuberの配信を見ている。正確にいうと、配信の切り抜き(長時間の配信の中で見どころや面白い場面だけを編集したもの・ハイライト動画)を見ている。
本配信が長いから切り抜きを見ているわけではなく、単純に本配信だと字幕がないので何を言っているのかニュアンス程度しかわからないからだ。そのVのひと、海外勢なのである。

私はもともとVtuberよくわかんないな派だった。
Vtuberという存在が、ここ数年はオタク界隈のみならず、一般的に話題に上がるようになり、タレントとしてCMや番組に出演したり、幅広く活躍していることは知っていた。
コンビニでキャンペーンしていたり、有名企業とコラボしたり、世間的にも「人間のインフルエンサーやタレントと同等に影響力が大きい」と判断されるような存在なんだなあ、と思ってはいたのだが、自分で触れたりはしていなかった。
理由はいろいろあるが「よくわかんない」かったからである。
ゲームの実況配信なんかは自室でBGM代わりによく流していたりするのだが、Vtuberという存在にどうとっかかればいいのかよくわからなかった。キャラクターとしてみればいいのか、個人の配信者としてみればいいのか。
あと二次元に慣れ切った人間からすると、キメキメの二次元キャラの立ち絵から「一般の声」が聞こえるという違和感がぬぐえず(声の良し悪しではなく「アニメっぽい話し方」と「普通の話し方」は違うという話)ちょっと触っては首をかしげて後退する、みたいなことを繰り返していた。
理解はしたかったのだ。新しいムーブメント……というにはあまりにも一般的になってしまった存在なので。

しかし、まあ、何がきっかけになるかわからないもので、ある時Youtubeアプリに表示されたおすすめ一覧の中に、海外のVtuberの切り抜き動画があった。どうしてそれがおすすめされたのかわからないし、どうしてそれを見てみようと思ったのかもよく覚えていない。が、その時の私は見ることを選択し、それがなんというか「良かった」のである。何が良かったのかと言われると、何が良かったんだろう? という感じなのだが、多分、言語が英語だったので日本語で聞くよりも、ワンクッション入るというか、ダイレクトに意味が伝わってこないので、声の違和感が少なかったのが理由の一つだと思う。あとは、立ち絵と声と喋っている(実際は翻訳された字幕なので、喋っていると思われること)のギャップだろうか。立ち絵はいかついし声も低めでかっこいいのに、なんだか可愛い兄ちゃんだな、という印象だった。そこから興味を持って切り抜きをみているうちに、コラボしているVtuberの名前をなんとなく覚え、こっちの人もいい感じだな、こっちも面白い人だな、と芋蔓式に興味が広がり、切り抜きチャンネルと、数名のVtuberを英語もわからないままにチャンネル登録して今に至る。
ぶっちゃけまだ何も知らないに等しいのだが「Vtuberよくわからん」みたいな苦手意識は無くなったような気がする。

知っていくと純粋に凄いなと思う人がたくさんいた。
海外のVtuber中心に見ているので、英語で話している人が多いのだが、日本語がペラペラだったり、逆に母国語は日本語だけど、英語で全く問題なくコミュニケーションが取れる人がいたり、トライリンガルという人もいる。もちろん中には母国語しか話せないという人もいるのだが、英語を話せない人は「英語を勉強したい」と言い、日本語が話せない人は「日本語を学びたい」と言っている。実際に英語を勉強して、海外のVtuberと英語だけで会話する、という配信をしている日本のVtuberもいる。
母国語もちゃんと話せているか怪しい自分からしたらそれだけで『敵うところがない』という感じなのだが、リスナーからも「英語を勉強したい」「どうやって勉強しましたか」というコメントが送られていて、それに対して真剣に彼らは答えていた。
そこにはなんというか、「好き」を原動力にした「相手を理解したい」というポジティブな空気があって、それがいいなあと感じたのだ。きっと10代の私がこれを見ていたら、彼らの言葉を、考えを、人柄をもっと理解したくて一生懸命に中学高校英語を勉強しただろうし、そう感じて勉強している人がきっとたくさんいるんだろう。そういう嫌々学ぶのでも、仕方なく学ぶのでもない、自分がやりたい! と思って動いているポジティブな「学びのきっかけ」があることは素晴らしいなと感じた。実際「好きだから」というのは学びに対して強い追い風になってくれることを私は知っている。「大好きなあの人に大好きだって言うため」になら、人はめちゃくちゃ頑張れるのだ。

あと、色々なセクシュアリティを持つ人がいて、そのことに触れたり触れなかったり、自然体で遊んだりいろんな話をしてくれているというのも、いいなあと思った。実際、本人たちがどう感じているのか、というのはわからないけれど、こちらがドキッとするようなセンシティブなジョーク(!)がやり取りされていることが、逆にお互いを理解しているし信頼しているのだな、ということを感じさせて私は好きだ(でもきっとこんなふうに感じてしまうこと自体が私の経験や感覚が未熟なのだろうなあとも思う。国の違いなのか、環境の違いなのか、両方なのか)

この人は凄い、尊敬できる、そう思える人がVtuberにもたくさんいるんだ、というのは私の中で実は結構な衝撃だった。
物凄く失礼なことを承知で言うのだが、どこかで私は「見た目の可愛さにバフもらって内輪ネタと勢いで盛り上がってるんでしょ」という風に思っていたのだと思う。めちゃくちゃ失礼だ。めちゃくちゃ失礼すぎる。そんなわけないだろ、とちょっと考えたらわかろう。今はそれこそ玉石混合だろうが、個人ではなく企業のVtuberとして活動していて、登録者数が少なくとも10万人はいる、という人たちがそんなわけがない。
「大手企業がコラボ相手に選ぶほど影響力がある」人たちなのだ。本人の人柄、努力、頭の回転力、エンターティナーであろうとする姿勢、全てが必要だし、それが全て揃っていたとしてもうまくいくかはわからない。そういう世界だろう。私は炎上騒動やら解雇騒動だけ聞き齧って、斜に構えて見ていたんじゃないのか。というか、今までも普通にゲーム配信者や他のYoutuberを見ているんだから簡単な世界じゃないことくらいわかるでしょうが。
おお、きちょよ、なんという愚か。お前は何度同じことを繰り返すのですか。少なくともたくさんの人が「良い」というものは「良い」だけの理由があるのです。それは人柄かもしれない、マーケティングかもしれない、コンテンツの目新しさかもしれない。自分が理解できないからといって相手を知らぬまま侮ることのなんという傲慢、無知蒙昧か。ハイブランドに触るときに同じことをしましたね? 穴があったら入りたい。

今年に入って幾度目かの「お前は知らないまま判断するな」という猛省を抱えつつ、しばらくは切り抜きを中心に動画を見てみようと思う。
自分の世界に無かったものが、こうして不意に入ってくることは興味深いし面白い。
良いとされるものには良いとされるだけの理由が必ずあると知ること。理解できないものは理解できなかったとしてもフラットに見ること。自分にとって新しい文化に触れることを厭わないこと。変化変質ではなく、飲み込み自分のものにすること。そして英語を学ぶ。わかったら何万倍も面白いのに悔しい。わかったら何万倍も面白いのに!
ところでグッズめっちゃ豊富でいいですね。公式だと前の商品でも在庫ある程度ちゃんとあるの素晴らしい。いや、買わんけど。買わない。買いませんよ?

好きな切り抜き貼っておきます。英語力〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

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