自分を構成しているもの②

こうして正社員として働くことになった
の前回続き。
簡潔に書くが、その後の毎日は全く
上手くいかないことの連続だった。
私はそれまでいわゆるバイトリーダー気質
で、仕事は出来ると自他共に思っていた。
そう、バイトの範囲内でなら…

考えてみたらその歳になるまで
まともな社会人経験がなかったのだ。
デザイン学校を卒業した時から
フリーター。
最初のバイト先なんてCD屋で
音楽たのしいーなんて言って
新たなアーティストを開拓しては
足繁くライブに通うそんな
気楽な毎日を送っていた。

とても楽しかった。
やり甲斐はあった。バイトながらに。
何故ならその店のインディーズ
担当を任されていたから。
これ誰に言っても中々伝わらない。
私の中ではターニングポイントで
あったのだけど、はいはいと
片付けられてしまう。

それまでの私は人生をのらりくらり
と生きていて実家暮らし家に金も
入れないその日暮らしの気ままな
人生を生きていた。
楽しかった。
適当だった。
どうせ絵で売れるようになるん
だから仕事なんて適当と思ってた。
休みも遅刻もし放題。
なまじっか若いのと愛嬌があった
ので許されていた。
みんなから仲良くされていた。
仕方ないなという感じか
末っ子のような扱いをバイトで
されていた。
当然期待などされていない。
その当時仲良くしていた社員さんが
おり、その人がインディーズ
バンドを大好きで所謂青田買いを
良くしていた。
自身でイベントを企画しライブハウスを
貸し切っては好きなバンドを呼んで
満足するそんな人で私も仲良くさせて
貰ううちに一緒にライブに行ったり
イベントのお手伝いをしたり
また絵をチラシに使ってもらったり
した。
自慢じゃないがそのイベントには
当時無名でインディーズの
フジファブリックも出ている。
先輩はフジファブリックとも
仲が良かった。

そんな楽しい毎日もつかの間、
仲の良かった先輩らが一斉に
異動となり次のインディーズ担当が
不在の状態となった。
その時初めて私に白羽の矢が当たり
発注やらPOPやらやるか?と
任されるようになった。

人生初めての大役。
何かを任されたのは初めてのこと
だった。
大したことないかもしれないが
毎月大量に新作が出るインディーズ
CDをバイヤーが選出し
それを店の担当が何枚発注するかを
決める。完全に担当の力量が任される
任務だった。
また店には売って欲しいインディーズ
レーベルがサンプルCDをよく
送ってくる。
それらを自主的に休み時間などに聴き込み
入れるか入れないかを判断し
自ら視聴機に入れ
推薦文のPOPを書いて売り出すのだ。
これが当たりだった。
私の特性にあっていた。
見る間に推したCDは売れて行って
とにかく楽しかった。
やり甲斐しかなかった。

お店に昔からいた先輩バイトの
人なんかは面白くないようで
嫌味を何度も言われた。
バイトで任されたのは私だけ
だった。
そんな楽しい日々も二年を過ぎた
頃、変化が起きる。
一斉異動がまた起こり社員さんが
入れ替わったのだ。
そして暗黒の時代に突入する。
古株メンバーの私らバイトと
新しく異動してきた社員数人とで
対立をしたのだ。
そして私はあっさり辞めた。
若かったので、もういいやと
辞めた。
まだその時点でもフリーターしか
考えていない。
いや、一生正社員などなることは
ないんだろうなと思っていた。
ここまでが、私が初めて自分に自信が
着いた瞬間と仕事できるじゃん私と
思った最初のバイト先の話である。

話は逸れたがその後倉庫業務や
服屋、画材屋、物流センターなど
転々とし正社員になった企業のお店で
バイトとして働くことになる。
常に仕事は出来る、頼られて
バイトリーダーのように生きていた。
サービスカウンターと書いたがここでも
リーダーだった。
5年働いた。そして前回書いたように
広告担当となり、社員になり本社へ
異動をする。

そう、わたしは意気揚々としていた。
物事が上手くいきすぎて舐めていた。
お店で広告を作っていた時も
仕事ができすぎて周囲から崇め
られていて、わたしって天才??
とすら思っていた。
社員も楽勝。わたしならすぐに
役職ついちゃうよ、まで思っていた。
安心して欲しい。
ボッコボコにその自信はこの後
打ち砕かれるので。

バイト経験しかなかったわたしは
一般的な世間の常識を知らず
新入社員なら通るであろう
ビジネスの教訓とかルールとか
そう言ったものは何一つ知らない
まま、正社員になりあろうことか
1ヶ月で本社へ異動した。
例外中の例外を起こしたのだ。
ビジネスメールはおろか、
上座下座の概念すら知らなかった。


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