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「話す=放す」

「やっと全部やること終わった」とか、「あー暇だ」とか、とにかくぽっかり時間が空いたとき、わたしは酒を片手に屋上階へ向かう。
逆に忙しいときは、そこへ行ってもささっと用事だけ済ませて挨拶もろくにせずに階段を下る。

このあいだはロゼを1本持って階段を登った。引き戸をガラガラと開けたら、そこはもう実家だ。でかいテレビがあり、ミニミニ仏壇があり、こけしがあり、ミックスナッツが常備されている。
この家の住民、すなわちわたしの両親はいつだって時間だけは有り余っているので、わたしの突然の来訪でも歓迎してくれる。
父は、ミックスナッツが入ったガラス容器のふたを開けて、「食べるかい?」と言いながら自分がひとつふたつつまんだ。
お互いに近況(といってもしょっちゅう会っているからトピックに乏しいんだけど)を報告しあい、父の範疇であるゴルフとか株とか政治とか福島ネタ(父も母も福島出身)に相槌を打ちながら、まだまだ窓の外は青空、昼下がりのワインをたのしむ。

酒といえば、母の「最大の愉しみ」は、日々2杯のハイボールである。気分を盛り上げるために、ハイボール専用のノベルティージョッキも欠かせないアイテムである。
でも、母はたいていの酒を愛しているので、勧めればなんでも飲む。この日も勢いよくロゼを流し込んでいた。
かとて、酒につよいわけではない。しっかりと元取るぞ、みたいに酔っ払うし、ここからが母の本領発揮である。

「前から思ってたけど、あなたはそっけない」
母がわたしにそういった瞬間、父が「ハッ!」と快活に笑った。
「コレの(わたしのこと)そっけないのは今に始まったことじゃない。子どものときからずーーーーっとそっけなかったよ!」
その通りである。なにをいまさらである。物心ついたときからわたしはそっけないのだ。そっけないがデフォルトなのだけど。
そう思いながら、「そーお?」と、かわしたら、母が「言えた!思ってること言えたー!」と満面の笑みで頬を紅潮させた。今にもガッツポーズしそうな勢いで。

ふむ。

母にとっては、「思っていることを言えた」ということが至上の喜びなのだ。「思いを伝える」ということに異常に苦手意識を持っている母は、酒の勢いを借りて、「言えた」を達成し、「言いたいことを溜めている」という状況から解放されたのだ。
なので、わたしの言うべきことは、「今後、気をつけるね」ではなく(どう気をつけていいかわからないし)、「言えたね、すごいね」なんだと思う。

これでしばらく風通しがよくなったんだと。

母は事あるたび、特に酒の席で、「思ってることがあったらなんでも言ってね、家族なんだから」と熱弁する。で、「では言わせてもらいます」と口火を切るのはいつだって母である。
それに沖縄に来てからの母は、付き合うひとがごくごく限られている。父とわたしたち家族くらい。でも、それくらいの人数が母にとってはちょうどいい。無理に交流とかはぜったいにしない。こころ許せる人たちのなかで、言いたいことを言ってみる。

まさに、蟹座のなかの蟹座である。

どんどん言ってください。
そっけないでも化粧っけないでも取り付く島がないでも。







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