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「奄美のコミュニティ」

初めての奄美大島は、小梅ちゃんがコツコツとていねいに繋げているコミュニティを案内してもらう旅だった。
小梅ちゃんは、東京で雑貨屋さんhttps://www.instagram.com/btr_b_t_r/

を営みながら、年に何回も奄美に通い、まるで親戚のように付き合っているご家族は、お父さんが漁師さん、お母さんが地元の信用金庫にお勤めの、生粋の奄美一家であった。
お母さんの拵える(といっても、わたしと同じ歳)「鶏飯」が、べらぼうに美味しい!とかで、それはぜひに!と前のめりになったら、「明日の夜、食べられるよー」と。もう、小躍りである。

集落の細い路地をゆっくり進むと、サトウキビ畑の横にその家はあった。
玄関先には、夜にだけ花ひらく品種のジャスミンがむせかえるほど甘い香りを放っていた。
すでにたくさんの靴。置き切れないなと自分たちの靴は外に並べて中へ。
古民家の居間には、大きなちゃぶ台と、いちまい板の長いテーブル。
そこに、お母さんやお姉さん、おばあちゃんの手料理がずらりと並ぶ。

いもがら(田芋の茎)の胡麻酢和え
間引き菜と塩昆布のお浸し
タコの酢味噌和え
ハリセンボンの唐揚げ
芋もち
田芋の甘煮
鶏ハムと喜界島の粒マスタード
塩豚、厚揚げ、干し大根、じゃがいもの煮物
もずくのかき揚げ
セミ海老
鶏飯

圧巻。盆と正月がいちどに来た感満載。

魚や海老は、お父さんが獲ったものであるが、セミ海老は海老アレルギーになってしまって(食べ過ぎて)定置網にかかっても誰も食べないという。
「だから好きなだけ食べちゃって!どうぞ〜」と、立ち上る湯気をたたえた真っ赤なセミ海老を前に、無類の海老好きのわたしは狂喜乱舞。
ぷりぷりの身を手でむしって、海老味噌をちょいとつけてパクリ。
これはっ。筆舌に尽くし難い。「海老が好きでよかった」と泣いた。

野菜はおじいちゃんの畑から。干し大根の大胆な太さは自家製ならでは。間引き菜もやわらかくて甘い。

そして、メインの鶏飯である。
玉子を産まなくなった雌鳥(廃鶏)を養鶏場で捌いてもらい、それを丸々二羽使い、ひと晩かけて黄金色の出汁をひくのだそう。
「味付けは塩と醤油だけ」

大きな塗りのお椀に、土鍋で炊いたごはんをよそい、具をきれいにのせていく。
具はスープをとった鶏の身を細くほぐしたもの、錦糸玉子、干し椎茸の醤油煮、青葱、タンカンの皮のみじん切り、青パパイヤの味噌漬けを刻んだもの。
仕上げに熱々のスープをなみなみと注げば完成である。

奄美で泥染めやっている工房の二代目、金井(工芸)くんが、「これまで食べた鶏飯でいちばん!」と唸った。
ひゃー、なんだか歴史が塗り替えられる瞬間に立ち合っちゃって、おまけにご相伴に預かっちゃった。美味しい。ひたすらに旨い。

そしたら次から次へと親戚や近所の方がどんどん集まってきて、みんな鶏飯をかっこんでいる。

小梅ちゃんが、「奄美、最高でしょ?」と誇らしげに、みんなを紹介してくれた。
老若男女、島の人から沖縄の人、東京の人や栃木の人。
台所では女の人たちが、洗い物や拭き上げた器を仕舞いながらおしゃべりをしている。
その何気ない、連綿とした風景がいかにうつくしいか。
磨き上げたアルマイトの大鍋がいかに頼もしいか。

飲んで食べて宴もたけなわになった頃、黒糖焼酎でいい塩梅になったおじいちゃんが三味線を出してきた。
ベンベンと弦を弾き出したら、みんなちゃぶ台の周りをおもいおもいに踊り始める。

チャンカチャンカチャンカチャンカ、チャンカチャンカチャンカチャンカ。

とっぷりと夜が深まった時刻である。


今回の奄美は、「コミュニティ」について考えさせられる旅だった。
小梅ちゃんが築いた繋がりが、わたしたちを奄美に誘ってくれた。
そうでもないと、「いつか」と言いながら、なかなか行けなかったから。
ガイドブックではなく、人が人を呼ぶ。
きっと昨今、ますますその傾向はつよまっていくのだろうし(ネットの情報が膨大であるがゆえ)、なにかイベントをやるのでも、「コミュニティとコミュニティが合わさる」、みたいに形式になっていくんだろうなぁと思った。

最終日は、小梅ツーリストの本領発揮。
ミロコマチコさんhttps://www.mirocomachiko.comのアトリエや、奄美のレジェントビックウェーブサーファーの基地(?)https://papersky.jp/hiroshi-kumazaki/ https://amami-nedi.comなど、人がすでにパワースポットになっているところを案内してくれた。
小梅ちゃんと泊まったゲストハウスの冷蔵庫に、小川軒のレーズンウィッチが「業者の方ですか?」ってほどにずらりあったのは、こういうときのためだったのか!











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