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【3分で読む】ネガティブに見えるものほど「熱い」易

みなさんこんにちは。気学Style 西島です。
いよいよ5月も終盤となりましたが、世間は何かと物騒な話題に溢れています。

五黄土星の年は荒れるというふうに申しますが、日常・国内外で起きている様々な事件は、
「私たちが人としていかに生きるべきなのか」を問われているような錯覚にも陥ります。

事件とは遠く離れていても、心・気を緩めることのできない毎日でもありますね。

兎角世間ではネガティブな話も多いですが、易についてその辺り感じたことを少し今回は振り返ってみます。

吉凶

いわゆる「うらない」というものとして扱われた場合、易などもそうですがそこで重要視されるのは「吉凶」の度合いでありがちです。

その日が、あるいはその仕事が、あるいはその相手が吉なのか凶なのか

というお話になりがちですが、現実社会において物事はなべて吉か凶か、もっといえば1か0かで割り切れるようなものではありません。
しかしながら私たちは簡単な目安として吉凶を求める場合があります。

ささやかな話の種であるのなら、それも話を盛り上げる一興となるでしょう。しかしながら自分の仕事やパートナーなど、文字通り将来を占うものに関してはこれはいただけません。

重要なことを考えるのであれば、それを占って出てくる結果も相応に複雑になってしかるべきと私などは感じます。

易に当て込まれる吉凶…①文言上の吉凶

さて易のお話ですが、実際、易の説明の文言にも「吉」「凶」の文字は出てくるものもございます。

しかしながらこれは

・吉がついたからOK
・凶がついているからNG

というレッテルを貼るものではありません。

これはゲームに例えれば

・吉:EASY MODE
・凶:HARD MODE

…であり、
日本語的に砕いて言えば

・吉:いいじゃんいいじゃん
・凶:(人として)それをやるのはありえなくない?

などという程度の考え方に過ぎません。
ですので凶が書いてあったとしても、そこで思考停止せずさらにその先を考えて動くことに易の面白さがあります。

易に当て込まれる吉凶…②卦そのものの吉凶

また易の解説以外に、易卦そのもののニュアンスから吉凶を当て込まれるケースもあります。

好対照であり、わかりやすいものを挙げるとすれば、

・地天泰
・天地否

でしょうか。

図を見ていただきました通り、この卦はお互い上下が逆になった形です。
その上で、各卦の意味合いは

・地天泰:文字通り、物事は安泰に進む
・天地否:「否定」の「否」が入っているように、物事が通らない

というふうになって参ります。
こうした意味合いから、「地天泰」がでればいわゆる吉のような扱いを受けることがありますし、
逆に「天地否」は「凶」でもって解説されているということもよく見ます。

しかしながら、やはり上で述べましたように、凶即ちNGではありません。

ネガティブに見えるものほど「熱い」易

上の天地否のように、一見その意味合い・見た目がネガティブに見えるものは易の中で結構ございます。

しかしながら、どんなにネガティブに見えても、易はどこまでも前向きに私たちにそこから展開される道を指し示してくれます。

そういう意味では、逆に「一見よく見える」地天泰の解説などは比較的素っ気ないものであったりもします。

熱量をややデフォルメして上記二つの卦の真意・見どころを書いてみましょう。

・地天泰
あなたはやるべきことをやっているから、自信もあって物事はうまく運ぶだろうね。安泰、安泰。素晴らしいね。

・天地否
取るに足りない相手がやかましく、自分が正しくても物事はうまく運ばない…苦境だね。控えめに行動するのが良いのだろう。
しかしこの卦の下側にあるのは大地だ。
自分の決意を、大地のように着実に・断固として継続してゆけば文字通り地力もついて苦境を乗り越えることもできるだろう。
控えめにというのは消極的なことを言っているのではないよ。華はなくともただ地道に、一歩一歩勇気を持って苦境に挑むことこそが大事なのだ。
そうやって人は成長してゆく。さあ、どうするね?

今回はやや盛った感じもございますが、一見後ろ向きに見えるような卦ほど、教えの奥に潜んでいる熱量は大きいように感じることが多々ございます。

荒れる時代こそ易の熱量を

ウクライナ・コロナの問題を始め、北朝鮮や円安など、様々な問題が私たちの生活に影を落としています。

ある意味「良い話」「吉報」には詳細など些事に過ぎません。
そもそもが良い状態なのですから思うようにやってゆけばよいのです。
(ケースによって注意点はあるでしょうが)

ですがむしろ苦境にこそ、どのようにこれに対応するか詳しく述べ、そして苦境にあって心が折れないように力を与えることが必要でありましょう。

そして私の思うところ、易はまさにそうした語り口を持っているように思えます。

易とは、一見他愛ない占いのようみも見えますが、その奥に潜む人生を生き抜くための哲学には一見の余地があり、感動があります。

先の見えづらい今こそ、易に様々なことを聞いてみるのも意義深いことではないかと思います。
易はきっと私たちの良いパートナーになってくれることでしょう。

もし易を基礎から学んでみたいという方がいらっしゃったらぜひ声をかけてみてほしい。
六十四卦の内容を詳しく知りたいという方も大歓迎。

support@kigaku-style.com にご連絡いただくか、または下記をご覧くださいませ。

私も日々、もう少し易を立ててゆきたいと思います。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。


次回の投稿は6月1日です。


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