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What do I wannna be?


幼い頃も、就活のときも、「自分は〇〇になりたい」という気持ちがあまりなかった。

就活で「Will/Can/Must」のベン図(※)を書いたときも、「Will」が希薄すぎてベン図に何も書けなかった。それでやっと自覚した。

もしかしてあたいは、内発的なモチベーション的なのがなさすぎる…?

※ Will(やりたいこと)、Can(できること)、Must(やるべきこと)をベン図にして、3つ重なっている部分が「生きがい」になるよね、というフレームワーク。詳しくはぐぐってください。


小学生のときからそう。多分。
小学校低学年頃に大体書かされる「将来の夢」は、周りが「花屋」「ケーキ屋」と書く中で、(いや自分がケーキ屋とか想像したことないんだが…)と子どもながら思いながら、かといってじゃあ何を書けばいいかも分からず、とりあえず絵が好きだから「画家」と書いていた。でも画家になりたいわけではなかった。知っている職業の少なさゆえの選択だった。

その延長線上でイラストレーターと言っていた時期もあった。

25歳の今、やっぱり「何かになりたい」「何者かになりたい」という野望は無い。

だからなのか、「何者にもなれない自分」に悩むこともない。


ただ、「何かになりたい」は無いものの、「やりたいこと」はわりとある。
絵を描くこと、旅行に行くこと、本を読むこと、それを語り合うこと。なにより穏やかな時間を過ごすこと。etcetc。

換言すると「こういうふうに暮らしたい」はすごく具体に理想がある。という感じか。

タイトルに戻ると、「What do I wanna be?」は答えに詰まるが、「What do I wanna do?」なら答えられるな。という。


「そんな悩みは就活時に終わらせるべきことだよ」「結局精神的に幼いんだよ」と言われればまあそうだったのかもなあと思う一方で、じゃあどうすれば大人に近づくのかが分からない。

ストレートに「何になりたいの?」と聞かれたとき「そもそも生きるので精一杯(死ぬことを考えているから)」と、論点をすり替えて回答するようなことが幾度かあった。5年くらいずっとこれだから、もう5年も、その先の5年も、ずっと、こうなのかもしれない。



とか色々書いている途中でどんどん考えが変わっているせいで一貫したnoteにできないのだけど

「なりたい姿」を一言で表す必要はなくて、「こういう自分で過ごせたらいいな」と思う要素を箇条書きにしていくことから始めようと思う。beとdoの間から。

なりたい人。興味あることにチャレンジできる人とか、継続力がある人とか。スタートはそういうのでいい気がする。





そもそもきっと書店に行けば、考え方もアイディアもまるまる詰め込んで解決に導いてくれるハウトゥー本が並んでいる。
そんな事情も知った上で、なお、もう少しだけ1人で悩んでいたいような気もする。「だって本一冊で全てOKになるような話じゃないでしょう」って意地を張っちゃう自分がいて、こういうところは幼いよなあと思ったりする。



今働いているのは技術職だし、この分野で一生ご飯を食べていく覚悟もあるけど、自分がこの分野のエキスパートになっている姿をあまり想像できない。その前に大前提として自己肯定感の低さとか対人恐怖とか自信の無さとか生きていく自信の無さとかがブワっと思考を満たしていって、その先に進めない。それをクリアしていけば少しはWillが見通せるようになるだろうか。


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