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言葉を省略するのは危険です~ズバリ下品に聞こえます

言葉を省略するのは危険です~「あざーっす」の衝撃

こんにちは、ぱんだごろごろです。
またまた言葉の話題で、失礼します。
今回は、「やたらと言葉を省略するのはやめましょう」というテーマです。
理由は、下品に聞こえるから。
これについては、かの清少納言も力説していましたので、後ほど紹介します。

まずは、私の体験談から。
小さなメモ用紙だったと思いますが、落とした物を拾ってあげたら、若い女の子が、私に向かって、にっこりしながら、「あざーっす」と言ったのです。
本当にそのまま、抑揚も何もない、平板な発音で。
その時、私が何を思い出したかわかりますか?
私が連想したのは、「揚げ豆腐」でした。

思い切り、平板な発音で、「あげとうふ」
はるか昔に読んだ、英語の発音の本の中で、「アメリカでバスに乗って、降りたいバス停まで来たら、こう言いなさい」と、書いてありました。
その本の中には、「苺のことは、七郎兵衛と言いましょう」と書いてあったので、何のことかは、見当が付くと思います。

この「あざーっす」、いくら何でも「省略し過ぎだろう」と思うと同時に、頭に浮かんだのは、「日本で、親切にしてもらったら、「あざーっす」と言いましょう」という、英会話ならぬ、日本語会話の本の一節。
まあ、実際にそんなことが書いてある本はないかとは思いますが
、確かに、「あざーっす」と言うと、「ありがとうございます」を早口で言ったように聞こえます。
しかし、日本語ネイティブである皆様は、決して面白がって、「あざーっす」などとは言わないで下さいね。
日本語を学んでいる、外国語が母国語の皆様も、同じく、「あざーっす」は駄目ですよ。

省略してもいい言葉とは

省略した言葉というものは、原形に比べて、意味がわかりにくくなりますし、当然短くなりますから、効率第一、急いでいる、端折っている、落ち着きがない等の印象を与えます。
私が省略してもいいと断言できる言葉は、「高校」です。
小学校、中学校と並べて、高校と言っても違和感がありませんし、世間に周知されていますから、内容に疑問を持つ人もいません。
むしろ、「高校」が「高等学校」の略称だという事を、意識しないで使っている人の方が多いかと思われます。
ちなみに、「大学」と「大学校」とは別物です。「大学校」には、「防衛大学校」、「気象大学校」、「水産大学校」などがあります。
外来語では、「パソコン」、「テレビ」も、パーソナルコンピューターやテレビジョンと言う人の方が少ないので、社会的に認知された言葉と言っていいでしょう。

省略した言葉や流行語というものは、若い人が作り出すことが多いものです。
そもそも意味がわからないものすらあります。
こう言う言葉を、大人の方が使うのは、みっともないのです。
簡略化した言葉とは、全部を言う労力を惜しんでするもの。
言葉のカジュアル化です。
「気位の高いひと」「自分に手を掛け、大切にするひと」の対極にあります。

清少納言の言葉論~「言葉遣いの下品なのは、何よりも悪いわよ」

ここから、清少納言の言葉論に移ります。


「男も女もよろづの事まさりてわろきもの、ことばの文字あやしく使ひたるこそあれ」
「ふと心おとりとかするものは、男も女もことばの文字いやしう使ひたるこそよろづのことよりまさりてわろけれ」


これらは、いずれも、平安時代当時、言葉遣いの下品なのは、何よりも悪い、男も女も同じで幻滅する言葉の奇妙な使い方をしないで、という、清少納言の意見です。

悪い例として挙がっているのは、「そのことさせむとす」「言はむとす」「なにとせむとす」を、「と」の文字を抜いてしまって、「言はむずる」「里へ出でむずる」と、省略してしまっている言い方です
「いとわろし(たいへんいやだ、ひどい、みっともない)」と、嘆いています。

現代風に言うならば、

「言っておきます」→「言っときます」
「そうですね」→「そっすねー」
「そうなってしまいます」→「そうなっちゃいます」
という感じでしょうか。


「あざーっす」もそうですが、普段から、言葉を略さない習慣を身につけたいものです(自戒もこめて)。
「千年経っても同じなの⁉」と、清少納言に怒られたくないですよね。

まとめます。

言葉をあまりに略すと、下品に聞こえます。
平安の世、清少納言の時代から、「言葉の省略はいとわろし」問題は存在していました。
清少納言が安心出来るよう、私たちは、気が付いた時だけでも、言葉を省略しないで使うようにしたいものです。

*以下は、念のために記しておきます。
本文中の、「枕草子」の文章は、上が、能因本系を底本としている、小学館の日本古典文学全集「枕草子」から、下は、三巻本系を底本としている、朝日新聞社の日本古典全書「枕冊子」から、それぞれ 引用しました。
この部分は、底本の違いで、文章の異同が大きいので、両方を併記したものです。
*ちなみに、「能因本」というのは、「伝能因所持本」(能因法師が持っていたと伝えられている本)の略称です。

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