私が夫と結婚することになった理由

こんにちは、ぱんだごろごろです。

超個性的なFIRE夫を持つ、マイコさん。


そのご夫君の言動を、マイコさんの記事で読むたびに、興味がつのり、
コメント欄で、遠慮なく質問しているうちに、
とうとうマイコさんが、私の質問に、記事で答えてくださいました。

ぱんだごろごろさんから「親御さんにどのように育てられるとご主人のような思考の持ち主になるのでしょう?」という内容のご質問をいただいたので書いてみようと思う。
リクエストありがとうございます!

【FIRE夫の育てられ方】自由すぎる幼少期

この記事を読んだ私は、FIRE夫のご両親様の教育方針に感心しつつ、
私自身の教育方針との違いにびっくり。

どちらかと言えば、ご主人様よりも、マイコさんの方に共感を覚えていた私は、
なぜ、マイコさんが、ご主人様と結婚することになったのか、
今度はそこに疑問を抱いたのでした。

さて、今度は、暖かいご家庭で、何不自由のないお嬢様として育ってきたマイコさんが、ご主人様のどこに惹かれて、生涯を共にする決意をされたか、という点が、俄然気になって参りました。

【FIRE夫の育てられ方】自由すぎる幼少期
コメント欄

もし、以前に、そういう内容で書かれた記事があれば、ぜひ読みたいので、教えて欲しい、という私の要請に、
そのような内容の過去記事は存在しません、とのマイコさんのお返事が。
そして、うれしいことに、

結婚生活のなかで家出や離婚の危機が何度あったかという感じなので、「結婚の決め手…??なんのこと…?」と思ってしまいましたが笑
思い出して書いてみます😊

同上

書いて下さる、と言うのです。
わーい😊。

と喜んだのもつかの間、
続けて書かれていたのは、

あ!!!
私も書くので、ぱんださんの結婚の決め手もお願いします✨☺️☺️☺️

同上

は?

何ですと?

・・・。

わかりました。
受けて立とうではありませんか。

でもね、つまんないんですよ。
私が夫と結婚することにした理由。

それは、夫が、私よりも背が高かったから、です。


その当時、私は、東京の私立大学附属高校の国語科の教員として、働いていました。
私立の高校と言えば、公立の学校と違って、先生方の異動がありません。
一度、その学校に入れば、ずっと同じ職場で、同じメンバーが同僚です。

つまり、出会いがないんですね。

隣の席のおじいちゃん先生と、おじさん先生にはさまれて、
生徒になめられたら、どうやり返すかを伝授してもらいながら、
一人前の教師になるべく、授業を繰り返す日々です。

一方、私の母は、生粋の名古屋っ子でした。
つまり、骨の髄から、見栄っ張りで、
娘に見栄えのいい結婚をさせることが、人生の目的の一つ、というタイプだったのです。

そんな母からしてみれば、私がいた職場は、お話にもならない場所でした。
そんなところにいても、いい結婚相手は見つからない。
だったら、どうすればいいか。

そこで母が思い付いたのが、私にお見合いをさせることでした。
母も名古屋の、中高一貫の私立女子校の出身です。
名古屋のお見合いネットワークへの足がかりはあったのです。

友だちを通じて、母の元へは、いかにも母好みのお見合い話が持ち込まれました。
名古屋の老舗メーカーの御曹司だとか、
名古屋の有名企業の跡取り息子だとか、
東大を出て、有名メーカーに勤めている人だの、
実家が病院を経営しているお医者さんだの、
母の好みにぴったりのお話ばかりでした。

ところが、私は、話を聞くだけで、
ついぞこのうちの誰とも会うことなく終わりました。

なぜなら、

彼らは、全員、

私より背が低かったからです。


何て申しますかね、
母は見栄えを気にしますでしょう。
男性が、見合いの相手に、自分よりも背の高い女性を選ぶはずがない、ということは、よくわかっていたのですね。

母は、泣く泣く、これらの豪勢な話をあきらめました。
それでいて、我が儘いっぱいに育っていますから、
自分の産んだ娘の、背が高いのが悪い、とは決して思いません。

母は、今度は、私のお見合い相手に求める条件を、

娘(私)よりも背が高いこと

に絞ったのです。

もちろん、お見合い話はぱったりと来なくなりました。

今でこそ、私は、少し背が縮んでいますが、
全盛期には、
全日本女子バレーボールチームの選手の平均身長くらいあったのです。
あ、昭和時代の話ですよ。
今は、女子選手でも180㎝は当たり前にありますからね。
そんなにはありません。
私は、もっと低いんです。

ついでに言いますとね、
全盛期には、私は、バスケットボールを片手で持つことができました。
今はとうてい無理ですね。

まあ、そんなこんなで、私は、仕事に忙しくてしており、
母は、東京にいながら、名古屋のお見合いネットワーク仲間と連絡を取り合っておりました。

そしてね、ある日、ついに、来たんですよ。
母の待っていたものが。

(電話のベルの音)
「はい、○○でございます」
「あ、○○ちゃん? 私、△△だがね、今、ちょっといい?」
「△△ちゃん、久し振り、何い?」
「あのねぇ、おたくのぱんだちゃんのことなんだけどね、背の高い人が見つかったんだわ」
「え、本当? 何センチ?」
「18×センチなんだって、どう?」
「それなら、うちのぱんだより高いわ。ありがとう。で、どんな人?」
「◇◇大学の大学院を出とってねぇ、◆◆に勤めとるんだって。年は29才。ぱんだちゃんとも釣り合うがね、サラリーマンだけどねぇ」
「今は、サラリーマンが一番いいがね。それに、◆◆にお勤めかね、いいねぇ」
「いいでしょお。ちょっと、話進めてみるわねぇ」
「ほんと、ありがとねえ」
「そのうち、写真と釣り書き送るから、ぱんだちゃんのも用意しといてね」
「すぐ送るわ、じゃね」
「じゃあねぇ」

*上記の会話は、ぱんだごろごろによる想像です。

まあ、こんないきさつで、私は、夫とお見合いをして、結婚することになったのでした。

ちょっと長くなったので、続きはまた明日。

*タイトル画像は、初雪さんからお借りしました。
ありがとうございました。

今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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