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OPPENHEIMER


ノーラン作品

仕事を早く切り上げることができたので、レイトショーで「OPPENHEIMER」を鑑賞へ。近頃、ちゃんと映画を作っているのはもうノーラン監督しかいないのではないかと思っていて、毎度楽しみにしている映画は彼がつくるものだ。ノーラン監督作品は誰よりも大好きな自信がありつつも、一度も映画館で鑑賞したことがないというモグリファン。その汚名を返上するためにIMAX-LGTで鑑賞したかったがエキスポの109では上映が昼に限られて無理だ。仕方なく、梅田のTOHOへ。

作品の振れ幅

早速感想になるがこの人の映画はいい。引き出し多すぎ。建築家で言うと、フランク・ロイド・ライトや村野藤吾だ。
インターステラー→ダンケルク→TENET→OPPENHEIMER
と左から右へ、緩急織り交ぜる作品群。また右へ投げてきたか。物理大好き人間にとってはオッペンハイマーは大好きな科学者の一人。NHKの映像の世紀でも何度も出てきていて、とても興味深い人であることはわかっていた。

天才の苦悩

簡単に言ってしまえば、天才の苦悩の物語。自滅系の天才の物語はいくつもあるが、なんだか今回はちょっと違う。それは何なんだろうと観終えた後から考えている。ここまで突き抜けた天才が、自分の世界に閉じこまらずに、目的を遂行するために鬼と化す。しかも、冷徹な鬼ではなく仲間をうまくまとめながらやってのける。その結果、マンハッタン計画は成功するのだが、天才が俗人の世界に足を踏み入れてしまったからか、俗人からの強烈な嫉妬にさいなまれ、社会的に抹殺されかける。というか抹殺される。オッペンハイマーの気持ちも、ストローズという人の気持ちもよくわかる。しかし、アメリカという国は目的のために手段を問わない国だと改めて思う。

作り手の手を離れる時

印象的だったのは開発が成功した後の、目的遂行のため、自らを偽って開発に取り組んだ過程と、その科学者に対する事後の扱いを対比しながら描いているところだった。「どう使うかは政治家の問題」とされて、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下もオッペンハイマーは事後に知ることになる。わかっていながらも原爆投下による壮絶な被害を知り、苦しむ。戦後、マッカーシーの赤狩りにもあい、公職追放もされる。こんな扱いされたら普通、怒り狂う。作っているものが私とはレベルも内容も違うが、ごく稀に、同じような経験をすることがあり、このやるせない気持ちが少しは想像できる。

迷いながら

迷いながら自らと周囲を欺き創造したものが、自分の手を離れ暴走を始める。永遠の後悔。ここにまさに冒頭の「プロメテウスは神から火を盗んで人間に与え、そのために岩で鎖に繋がれ永遠の責苦を受けた」というギリシャ神話の引用の言葉に集約される。この映画は日本では公開が遅かった。配給会社が日本が被爆国である事を考慮したからだ。熟慮の結果公開することとなったそうだが、公開されてよかったと本当に思う。当時の世界情勢と、オッペンハイマー個人の葛藤と後悔。周囲の秀才と俗人による嫉妬と悍ましい人間模様。こんなことに比べたら、、、建築を作る事って幸せでしかないなとつくづくおもった。


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