自分勝手を決めるものは何か?【勝手にリレーエッセイ2022秋】#最終回
リレーエッセイのアンカーのバトンが回ってきた。本当はまた1週間おいての記事公開だけど、書いたから公開しちゃお。「勝手にリレーエッセイ2022秋」をゴールさせるのだ。
だって11月に入っちゃった。ヘラジカさんも潮永さんも、一連の記事に対する考察を書いてくれているって言うし。見たいし。
あと、もう、秋じゃないし。あと俺、アンカーだし。ゆっくりでも急いでも、とにかくゴールすればいいわけだし。
…
というわけで、いくぜ。
最後は自分勝手にいくぜ。
見ててくれ…みんな(←だれ?)
▶第五走者『潮永 三七萌』さんの記事はこちら。
【本編】
潮永さんの記事が回ってきた時、まず思ったのは「絶対に潮永さんと長谷川さんは馬が合わないだろうな」である。笑った。が、記事を最後まで読み進めると、
なーるほどなぁ。うーんなるほど。
潮永さん、たしかに。
なるほどねぇ。
…
ちょ、ちょっと待って?
私はどうすればいいですか?
と、思ったが早いか、ここで私は、このリレーエッセイのある重大な欠陥に気づいてしまった。重大な欠陥、それは何か?
「自分勝手とは何かを定義していない」
お前、また定義するのかよ。
毎回毎回、定義しすぎで飽きたって。
という意見を全身に受け止める。
で、思った。
そうか、ならばこの最終回で、これまでの皆さんの記事のエッセンスを抽出し「自分勝手とはそもそも何か」を定義することで、華々しいゴールを迎えようではないか!
なるほど!最終回っぽい!(ぽいか?)
と、いうわけで、私の解釈による歪曲があるかもしれないが、それぞれを整理していく。
ここで注目したいのは「長谷川さんだけ」記事の画像を設定していないところである。
これは面白い。それぞれが画像を設定しているのに、一人だけしていない。自分勝手な個性の象徴っぽいが、私は何とも思わない。なぜか?
そこに信頼関係があるから。
ほう。
…
何かが見えてきそうな気がする。
「自分勝手とは何か?」
もう、辞書的な解釈は置いてシンプルに行く。
おにくさんの記事がヒントになる。
誰かを傷つける行為こそが、自分勝手である。
逆に言えば、誰かを傷つけていない、
嫌な思いをさせていないのなら、
それは自分勝手ではない。
だって、長谷川さんの記事に私は傷ついていない。よって長谷川さんは自分勝手ではない。勇敢なヘラジカさんの言葉を借りれば、信頼関係があればそれは魅力になる。
潮永さんの記事から拝借すれば、
自分の声に従って0から1を生み出せる人間。
魅力的じゃないか。適材適所じゃないか。
つまりは「信頼関係」である。
他者を受容する心だ。
初回記事で、私は元カノとのエピソードを書いた。たしかにキレたが、信頼関係あってこそである。あの子が勝手に「行こうよ」と言わなければどこにも行けなかった。彼女が0を1にして、私が1を10に、そして2人で10を100にして楽しんでいたではないか。
なるほど。
で、結論。
自分勝手とは、悪でも善でもない。
そこにいる人のただの個性だ。
決めるのは受け手の私たち1人1人の、
心の在り方次第なのだ。
(1,200文字)
▶リレーエッセイ、この順番で読んでみよう
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