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本気になったことがない私のための記事。

たとえば、道路を車で走っているとする。

法定速度をきちんと守って、
時速60キロで走っていたとしよう。

道をまっすぐに走っていると、前方にノロノロと走る軽自動車が見えてきた。

時速30キロぐらいだろうか。自分の車との距離がみるみるうちに縮んでいき、やがて軽自動車を追い越す。


この車、ずいぶん遅いなぁ


と思って運転席をのぞく。
運転していたのは、若い男性であった。


まぁ、軽自動車だし、そんなにスピードを出さない人なんだろうな、と思いながら追い越す。

きっと追い越す。

時速30キロで走る軽自動車をね。



また、道路を走っていたとする。

これまた法定速度を守って、
時速60キロで走るとしよう。


まーた前方に車が見えてきた。

ノロノロと走っている。時速30キロだ。どんな車かと思って見てみると、ポルシェではないか。

最強エンジンを積んだポルシェが、
道路を時速30キロで走っている。


追い越しながらきっと、こう思う。

なぜだ? ポルシェなのに、もったいないなぁ。

時速30キロで走るポルシェである。



さて、この記事で伝えたいことは、
全力を出さなければ、もったいない、である。

もったいないどころか、かっちょわるい。


いま書いた、

・時速30キロの軽自動車

そして、

・時速30キロで走るポルシェ


みなさんが積んでいるエンジンは
どちらであろうか。

軽自動車? それともポルシェ?



私を含め、全力で何かに
取り組んだ経験が少ないという人がいる。

なまじ何事も、のらりくらり要領よくできるから、全力を出すことを知らない人たち。

そんな人が増えているらしい。

いや、きっとむかしからだ。


全力でやって失敗したときが恥ずかしいし、何かに取り組んだ先に待っている結果がどんなものなのか想像できてしまう、というのも理由に挙げられそうだ。



にも関わらずなぜだか「自分こそは人とは違い、特別だ」と思っているフシがある。少なくとも私は小さなころから私のことをそうだと信じている。


「あなたが積んでいるエンジンは軽自動車なのね」と言われるとムッとするが、「君はポルシェのエンジンなんだね」と言われるとうれしい気持ちになるじゃないか。



ならば、




全力を出せ。


アクセルを踏み込め。


何を一歩引いた目で世界を見ているんだ。


積んでいるエンジンが
一流だと信じているのなら、
なぜアクセルを踏み込まないのだ。

スピードを出せ。
その素晴らしいエンジンを使いこなすんだ。

この世界に法定速度はない。

全力を出さないと、もったいないぞ。





プロ野球の話で考える。

前年の打率と本塁打数などの成績を下回っているのに、ヘラヘラしているプロ野球選手を誰が応援するのか。

苦しいながらも試行錯誤を繰り返し「期待に応えよう」「去年の自分を超えよう」とがんばる選手をこそ私たちは応援してしまうものだ。

いつだったか書いた、
「一生懸命な人を応援してしまう」ってやつだ。



自分ができると信じているなら、
全力を出すのだ。

出し切れ。最後まで出し切れ。

恥ずかしくなんかない。


自分をまだ信じられないなら、
信じられるような努力をするんだ。

とにかくアクセルを踏むんだ。


どんなに斜に構えたスタンスでいても、どんなに技術が発達しても、AIがどうとか言っても、結局最後はスポ根だ。全力だ。


全力でやれ。続けろ。


……いや、いまそんな気分じゃないんです。

わかる。


ならば、よく眠ろう。

<あとがき>
これ、自分自身のために書いてたのですが、新種の自己啓発です。本を読んで刺激を受けるのではなく、自分で書いちゃうってやつです。軽自動車のエンジンでも、全力で走ってたらポルシェに勝てることもあるかもしれませんよ。最後までありがとうございました。

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