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自分の時間を取り戻す場所。

駅前のマクドナルドの、窓際のカウンター席。なにかに集中したくなったとき、僕はそこへと向かう。

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去年の春から、僕の仕事はほぼフルリモートになり、家で仕事をする機会が格段に増えた。朝起きてご飯を食べて、子どもを保育園に送ったら、洗い物をして、コーヒー片手に仕事を始める。仕事が終わったら、保育園に子どもを迎えに行って、ご飯を食べる。お風呂に入って子どもを寝かしつけて、残っていた仕事を片付けると、もう僕も寝る時間だ。今までホッとできる場所だった家の中で、仕事が、家事が、子育てが、いろんなことが渋滞してしまって、息をつく暇を見つけるのが難しくなってしまった。

仕事に少し余裕のあったある日、「たまには外食でもしてみよう」と僕は駅前へ向かった。お昼時だからかどこもそこそこ混んでいて、ふらふらしているうちにマクドナルドに行き着いた。商品片手に席を探すと、窓際のカウンター席が空いている。腰を下ろしてふと外を見ると、なんてことのない雑踏が目に入った。耳には、他のお客さんたちの会話の声がざわざわと入ってくる。街の片隅に、ぽつんと一人いる感じが、なんだか心地よくなってぼぉっとしてきた。そういえば、とバッグに本を入れてきたのを思い出して、パラパラとめくってみた。家で本を開いてみても、なんだか読む気にならなかったから、ここでもどうせだめだろうと思っていたのに。気付けば、頼んでいたコーヒーがぬるくなるくらいに、集中して読み進めていた。時計を見ると、もう休憩の時間が終わりそうになっていて、僕は大急ぎで家に戻った。

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思い返してみれば、僕は昔から、ちょっとざわざわした場所のほうが集中できる子だった。自分の部屋では宿題が捗らず、みんなのいるリビングでしていた。テレビに背を向けて、テーブルに大きく宿題を広げて、テレビの音と家族の声をBGMにしながら宿題をしていた。

大学生になってもそれは変わらず、テスト期間になると決まって食堂の片隅で勉強をしていた。図書館や自習室では、なんだか静かすぎてソワソワしてしまうのだった。食堂が閉まるまでの時間、おばちゃんたちが食堂の片付けをしながら、おしゃべりをしているのを時々眺めては、また勉強に戻る。友達が来て、雑談することもしばしばで、はたから見れば集中できなさそうに見えるかもしれないけれど、僕にとってはこのざわめきがなんだかちょうどよかったのだ。

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それから僕は、なにかに集中したくなったとき、少し時間を見つけては、マクドナルドのカウンター席に行くようになった。例えば読書がしたいとき、調べ物がしたいとき、こうやってnoteを書くとき。1時間に満たないくらいの時間でも、驚くくらい集中して取り組むことができるのだった。ときには、ただぼぉっとしに行くときもある。街のざわめきを聞きつつ、あったかいコーヒーを啜る。この席に座ると、家の中で見失ってしまった僕の時間が、僕の手元に帰ってくるような気がする。誰も僕を気にしていない、ぽつんと一人でいるような感覚の中、僕の時間は僕だけのものになる。

今日もまた、マクドナルドで1時間、僕の時間を満喫してから子どもの迎えに向かう。いつもより頭がスッキリとしていて、明日から仕事を頑張ろうかという気持ちになってきた。今日はたまには公園にでも寄って帰ろうか。あのざわざわした僕のお気に入りの席は、僕の生活のエンジンをかけなおしてくれる、そんな場所なのだ。

#エンジンがかかった瞬間

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