キジほし

キジほしです。由来は1万円札に描かれていたキジからお金が欲しいという希望と、自分の書く…

キジほし

キジほしです。由来は1万円札に描かれていたキジからお金が欲しいという希望と、自分の書く記事ネタが少しでも多く集まるようにという希望の二段構えからなる、欲まみれの由来となってます。

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

歯痒さと音楽

彼等は同じ場所にいて、同じ音楽を共にしていた。 幼稚園の頃から同じ趣味に興じ、苦楽を共にし、辛酸を嘗めた彼等にとって、「彼等」以上の存在や共同体は二度と現れないんだと、そう互いに誓っていた。 初めて皆でテーマパークに行き、高速で走り回るアトラクションに乗ったときに聞いた曲。 初めてカラオケに入って、慣れない歌をかっこつけて歌っていたときに見た横顔。 そのどれもが、意味のあるようで無いようで、核心には触れることの無い何かが宿っていた。 懐かしさだけでは到底表しがたい何かが、

    • 星と月

      人工的に光ることを余儀なくされた街灯が、自ずと僕の影を3人に分けていた。 それぞれが自我を持っているようで、僕についてくる。 統率をとらされた影は、1つになって、また2人になる。 どこまでもついて来て、どこまでも僕は1人になれなくて悔やんだ。 晴れやかな星空は、夏夜にしては綺麗で、珍しく微笑んでいる。 何を思いながら歩いているのか分からなくなって、すっと立ち止まった。 湿り気を帯びたいきれが、頬を撫ぜる。 じっとりとした背中が、少し冷えた心地がした。 ため息をつく。

      • 無題

        街はしとどに振り続ける雨の中で、煌々と輝きを放っていた。 行き交う人々は、ありきたりな顔をしていて、ありきたりな歩幅で歩いている。 車のヘッドライトが水滴に反射して、雲で隠れた星空を蘇らせる。 ありきたりな街。 主義主張のない、無題な街だった。 滑稽に騒ぐ若者。 その横を通り過ぎて、横断歩道を渡る。 ビルに掲示された大型の液晶は、記録的な大雨を報じている。 飲屋街を通り過ぎて、1人で、何もない顔をして歩く。 目的も何もないまま、路地裏のドアを開け、 私は「そこ」に入っ

        • 四季の終わりに

          こんばんは、キジほしです。 「四季」を読んでいただいた皆様には、どのようにお礼を申し上げれば良いのか分からないほど、感謝をしております。 さて、私はこの後書きをどのように書くべきなのか非常に迷っていました。 物語を書いてみた感想でもよければ、苦悩を抱いた部分でも良い、この「あとがき」に何を書くべきなのか、、、。 そこで、私はこの部分に、思い描いていたテーマを言い訳混じりに書きたいなと思います。 まず、この物語は私の知る方から恋愛物を書いてみて欲しいという依頼をいただいた

        • 固定された記事

        歯痒さと音楽

        マガジン

        • 四季
          5本

        記事

          四季#4

          彼女は、夜のコインランドリーでけたたましく鳴る機械を背に、つらつらとスマホを眺めていた。 夜中の住宅街の静けさとは真逆に、煌々と輝きを放つこの施設の中は、まるで異世界の中に放り込まれた少女のような錯覚を彼女に与えていた。 部屋の中に香る柔軟剤と、私一人しか存在しないこの空間。 彼女はその中で、一人ただスマホを眺めている。 残り3分 その表示に切り替わると同時に、機械は音の流れを変えて違う機械に生まれ変わっていた。 不思議と落ち着いていた。 それは時間の流れだったのか、

          四季#3

          月日が経ち、満開の桜が新入生たちを出迎えようとしていた。 僕は、新調された制服姿の彼らを見て、春の訪れを身に染みて感じ取っていた。 新たな場所に身を委ねる彼らは、間違いなく輝きを放っていた。 SNSには、「春から〜」の有象無象と共感性羞恥に溢れかえっていた。 僕と彼らの違いは何なのだろう。 濃桜の木々は並々と風に揺れ、葉の擦れる音と共に一欠片を散りばめている。 綺麗な歩幅で歩く彼らは、まるで何かを追い求めるように整々と陣列を組んで歩いていた。 僕と彼らには、確実に、圧

          デリダ「脱構築」からの学び

          はじめにこのnoteは、非常に戯れ言的な要素を多様に含んでいるため、筆者の独り言であり、無用なモノであると思いながら読んでいただく事をオススメする。 また、以下で取り扱う「脱構築」という言葉は広義のープロセスの解体/抽出としての脱構築ー要素を述べていることに注意されたい。 結論として述べたい内容は以下の2点である。 ①デリダの「脱構築」とは、「内発的崩御」に通じうる。 ②現代社会の重要な要素は、「内発的崩御」と「外圧からの防御」である。 脱構築とはまず、20世紀に活躍したジ

          デリダ「脱構築」からの学び

          四季#2

          「じゃあ、無理だったっていうことだね」 素っ気なく言い放たれたその言葉は、あまりにも第三者的で自我を持っていない言葉に聞こえた。 ずっと他人事だったんだろうか。 私が諦めるには、その言葉は十分過ぎた。 出会いも無作為的で、どことなく何を考えているのか分からない所が魅力的だったはずだった。 でも、今ではその第三者的な彼が不自然に怖く、何を考えているのかが不明瞭なところが、畏怖の念とも言うべき強大な何かに覆われているようだった。 自分の趣味に身を寄せ、共感だってしてくれたはず

          四季#1

          彼は、気持ちを整理すべく路頭に迷っていた。 至極単純で、至極全うな選択だったのであろう事を誇りに思いたかったが、そこに含有された切なさを考えると、到底彼には太刀打ちできないような悔しさ、悲しさ、その他多くの感情が押し寄せ、酩酊した、放浪の獣のような存在へとなりかけていた。 彼にとって、感情は他者のために存在していると信じて疑わなかった。 想いを打ち明けられた彼は、寄りかかるべき感情を失い、やっとの思いで運命を断ち切るまでに、彼の数ヶ月が無駄になっていた。 否、無駄だと言い聞

          「読む」ということ

          小説や論説を「読む」ことは、非常に美しい行為に思える。 なぜなら、文学や論評と共に言葉の定義を自然に覚え、描写を思い描きながら筆者のストーリーに想いを馳せる事のできる行為だからである。 筆者は、前回「読書のすゝめ」という表題で論を展開した。 数年前の記憶のため定かでは無いが、確か読書を行うことで、絶え間なく注がれる「知の神秘性」について語っていたのだと思う。 社会人になった今でも読書は欠かすことの無いものであり、先述した論を未だに支持してさえいる。 さて、今回は読書のより

          「読む」ということ

          四角い鉄の塊は今日も、どこから来たのかも分からない生き物を懸命に懸命に運んでいた。 何線に乗っているかなんて気にしたことのない、知る人しか知らない、僕が出立し、帰路につくためにしか選ばない鉄塊。 そんな鉄塊の中で、僕はただ、そこはかとなく自身に降りかかる災難を感じ取っていた。 予期しないが、身に降りかかるに違いないであろう災難。 そんな災難を毎日感じ取っていた。 いつになるかは分からない、何が原因になるのかも分からないが、何故か災難になるであろう。 そんな不思議な感覚。

          レストラン

          適当に立ち寄った書店で本を買い、安っぽいカフェで席を取った。 本を読もうとしてふと腕時計に目をやる。 10時30分 もっと早く到着しているつもりだったが、諦めて本を開いた。 タイトルに書かれた『痴人の愛』という4文字を眺めながら、友人が目を輝かせながら語った箇所を思い出す。 待ち合わせには不適切なその本を読み進め、待ち合わせの時刻を迎えようとしていた。 似合わない格好の二人は駅を通り過ぎ、雑踏の中に消えゆく。 目立たない格好をしている不格好な二人が、逆に大衆の目を引き

          レストラン

          名も無き者 ゴッホ

          無名のまま息絶えた人々はごまんといる。 作者として、商売人として画家として、数えれば驚異的な数になるであろう。名も無き者 ゴッホもかつてはその中の一人であった。 精神を病み、自傷行為とも、狂っているともとれる行為に走り、他者から忌み嫌われ憚られた存在であった。 弟という数少ない分かち合える存在とも、パリという自身を受け入れてくれていた場所からも突き放され、最後は自死を選んだ。 死後も、当時の宗教的観念から儀礼的には弔われず突き放された。 彼が突き進み、心を奮わせた絵画

          名も無き者 ゴッホ

          本当のこと

          あの日々は本当に幸せだった。 授業を受ける準備をするため、ラップトップの前に座った僕の頭に、ふとそんな考えがよぎった。 不思議な感覚。 思えば、僕の中でこのような考えは卒業式の時によく浮かぶらしい。 当たり前だった日常がこんなにも幸せだったのか。高校の卒業式の時、カラオケやファミレスで馬鹿した日常が愛おしく感じるのと同じような感覚を、大学2年生という中途半端な時期に痛感している。 浪人を経て大学に入学した僕は、1回生の頃から酒の場に誘われてよくお酒を飲んでいた。飲み

          本当のこと

          「何か物事を成し得たり、描いたり、書いたりする上で多少の毒は必要なのだと思う。」 これはどこか、まだ私にも大人と言う存在が遥か遠くに感じられた時に出会った文章である。 私も無事成人を迎え、大人と呼ばれる存在の一員となった。ここにきて改めてこの文章を思い出す。 今までどんな人生を歩んできたのだろうか。私はこの生きてきた数十年を振り返り自問する。 大学という「大人なのに学生」などという中途半端な場所に赴き、専門的なことを学んで、他者との差異を見出し、偏っていく。 果たし

          読書のすヽめ

          私はよく本を読む。 急になんの話だと思った方もいるであろうが、ぜひ読み進めてもらいたい。 私の読書動機は、「有象無象から逃れるため」というものだ。なんとも自分勝手極まりない、著者、ひいては本を読むことが好きな読者の方々にまで失礼な動機である。 読書は私にとって有象無象、世のありきたりなものから逃れるための最も優れた手段なのである。読書によって培う「知」、豊かになる感情、これは私のみが得られるものであり私にとって他の有象無象よりも秀でるチャンスなのである。少なくとも私はそ

          読書のすヽめ