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心の余白は大切、ということを耳空き時間で知る

イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけていき、そこで祈っておられた。

マルコ1:35

私は今まで、集中する必要がない時、暇さえあればいつでもワイヤレスイヤホンをつけて何かを聞いていました。

聞く内容といえば、聖書の解説からYouTuberのおしゃべり、時事ネタなどなど・・・多岐にわたりますが、散歩する時も、料理や掃除・洗濯をする時でも、とにかく、「耳が空いている」時間があれば、いつでも何かをインプットしていました。

最初は、「作業をしながらでも知識が増えて効率的!」と思っていましたが、最近、ひとつ気づいたことがあります。

それは、なんとなく心に余裕がなくなってきたこと。

さて、その原因は何でしょう・・・?

私の場合、インプット過多になってバランスを崩していたのかもしれません。

以前、死海について聞いたことがあります。

Photo by Toa Heftiba on Unsplash

死海の塩分濃度が高いのは、入ってきたものが流れ出す川がないためだそうです。

塩分濃度はなんと約30%!
通常の海水のおよそ10倍です。

それでは魚が住めるわけがありません。
(体は浮きますが)

その話を思い出して、「まるで私だ!」と思ったのです。

インプットばかりしていて、それについてじっくり考えたり、アウトプットすることをしていなかったのです。

そのため、私の心はいつの間にかパンパンになっていたんですね。

特に私は、「耳が空いている時には何か聞く」ということが習慣になっていたので、耳空き時間があるのに聞けない状況に陥ると、なんだかもったいない気がしてきて、たとえ数分の家事であっても「何かをインプットする」ことが、いつの間にか優先事項になっていました。

結果、特に聞きたい内容でなくても耳に入ってきていて、その時間は自分から考えることもなくなり、どんどん思考停止状態に。

本末転倒ですね。

腹八分目に留めておくことができたら、耳空き時間のインプットはとても効率的なのでおススメです!
・・・が、私はどうにも欲張ってしまったんでしょうね。

ほんのちょっとでも心の余白を空けておく、むしろ積極的にそのように静まる時間を設けることは、心の健康を保つ秘訣なのかもしれません。

『イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけていき、そこで祈っておられた。』マルコ1:35






数年前まで無神論者だった私は、聖書とイエス・キリストと出会い、人生が180度変えられました。
少しでも多くの方に聖書を身近に感じていただければ、という思いで、このシリーズではおもに私自身の経験と聖句を発信しています。
よろしければ、また覗いてみてください。



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