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世界が変わった体験。

※こちらの記事は「聞き書き甲子園」事務局による連載となります。

全国約80名の高校生が、「名人」(林業家や漁師、伝統工芸士など)を訪ね、一対一でインタビューをする「聞き書き甲子園」。そもそも、こちらの「列島ききがきノート」もそのOB・OGが立ち上げたチームです。
昨年はコロナ禍で休止していましたが、今年は工夫を凝らして、聞き書き甲子園を開催する予定です。今回で20年目となる当事業に参加する高校生の応募は5月からスタート!募集開始を前に、過去の参加者たちの体験談を連載でご紹介します。参加を考えている皆さん、「聞き書き甲子園ってなんだろう」と思った皆さん、ご覧ください。


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書き手:高垣 慶太(たかがき けいた)
広島県出身。2019年、高校2年生の時に第18回聞き書き甲子園に参加。山口県下関市のイカ一本釣り漁の名人・春永 克巳(はるなが かつみ)さんを取材しました。高垣さんの聞き書き作品は、環境大臣賞を受賞しました。


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高校2年生の夏に参加した第18回「聞き書き甲子園」。所属していた新聞部の顧問に活動を紹介され「日本のさまざまな地域で暮らす森・川・海の名人を訪ね、一対一で『聞き書き』するプロジェクト」という文言に惹かれ、応募。新しい何かが発見できるかもしれないと期待した。

聞き書き甲子園の最初の取り組みは、夏の研修。全国から集まった高校生たちと交流し、聞き書きのノウハウを学んだり、取材する名人を決める。山口県下関市に割り振られた私は、下関市豊北町特牛で主にイカ漁を営む漁師、春永克己さん(以下:名人)を聞き書きすることになった。

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↑名人と私。取材を終えて帰ろうとすると「またサザエが食べたくなったら家においで」と言ってくださったのが嬉しかったです。

9月初め、アポを取って1回目の聞き書き取材へ。行きの電車の中で、何度も聞き書きの手引きを見直し、緊張と不安で頭がいっぱいになった。待ち合わせ場所に着くと、「おーい」という声が。名人だ。初対面にもかかわらず、優しく気さくに接してくださる名人を前に、駆け巡っていた不安や緊張が消えていった

17歳から大洋漁業のトロール船に司厨員として乗船し、世界の海を航海した名人は、32歳の時に調理師として地元の病院に12年勤務し、漁師の師となる人と出会った。その後、家族の了承を得て漁師となり、現在は11人の研修生を抱えるベテランとして約30年自然と向き合ってきた。

名人はブランド魚と言われる特牛イカ(ケンサキイカ)をはじめとして、さまざまな魚介類を釣る。私が取材に伺った際には、タコ籠漁に同行させてもらったり、素潜り漁で獲ったサザエを壺焼きにして食べさせてもらった。もちろん味は最高だった。

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↑タコ籠漁に取り組む名人

しかし、本来その季節に行われるはずのイカ漁について伺うと、イカ漁が抱える問題が見えてきた。「20年ぐらい前は50キロとか80キロとか、豊富に釣れよったけど、最近は釣れる数が下火になってきちょる。特に今年は不漁」「漁師になって30年ぐらいやけど、こんなにイカが獲れんのは初めてじゃろうな」と。

名人曰く、イカを捕食するヨコワマグロの国際的な漁獲制限によってマグロの個体数が増え、イカの捕食が多くなったこと、海の水温上昇によるイカの稚魚の大量死滅が不漁に繋がっているとのことだった。海の生態系を守ろうとする人間の行動が、海と漁師の関係を乱してしまっていること、気候変動や温暖化といった地球規模の問題が、目の前にいる名人の生活を脅かしていることに気づいた

振り返ると私は、こうした学びが聞き書き甲子園の魅力の一つだと思う。自分が日常過ごす環境では知ることのできない問題と出会い、あるいはそれに直面する当事者の「声」や「想い」を聴くことができる機会。自分が知らない社会問題や、人の生活とそれらの問題が密接に結びついてるという事実を肌で感じる機会はあまりない。

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↑名人と夕陽。「感謝や情けを魚にかけていては漁をすることはできない」と話していたのも印象的でした。

もう一つ、聞き書き取材を通して名人から学んだことがある。それは「自分にできることは何か考える」という姿勢だ。名人は漁に加え、さまざまなボランティアも行なっている。地元の子どもたちに魚や海に親しんでほしいと、小学校から高校の生徒に魚のさばき方や調理方法を教える魚食普及、海辺に近い小学校の一学期の終業式を浜辺で行い、磯端に撒かれたサザエを皆で拾って壺焼きにして食べる「海の終業式」(学校の合併によって3年前の開催が最後)など。さらに、新規漁業就業者の育成にも長年に渡って携わっている。私が「ここまでたくさんのボランティアに取り組む理由」を伺うと、名人は「見たり聞いたりすると、何か自分にできることはないか」考えるのだと一言。名人のそうした姿や考え方に、いつしか私は憧憬の念を抱いていた。

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↑海の卒業式を催していた海岸に思いを馳せる名人

2回目の聞き書き取材を11月中旬に終え、12月に作品を提出してひと段落した頃。私が住む広島では、一つの大きな問題が大きく議論を巻き起こしていた。被爆建物「旧広島陸軍被服支廠(ししょう)」の一部解体問題だ。75年前、原子爆弾が投下された広島では、原爆の被害を受けながらも倒壊しなかった建造物を「被爆建物」「モノ言わぬ証人」と呼んで保存してきたが、近年、老朽化や耐震性の問題で解体されることが多くなっている。この「被服支廠」という建物も、解体の危機に瀕したのだ。私は新聞部でこの問題を取材する傍ら、「見たり聞いたりすると、何か自分にできることはないか」考えるという名人の言葉を思い出していた

「自分にできることは何か」。模索を続ける中で「自分と同世代の若者にこの建物について知ってもらう」ことが大切と考え、解体を防ごうと署名を集めていた人と協力して建物見学とディスカッションを含むイベントを企画。当日は15人の高校生、大学生が参加してくれ、複数のメディアにも取り上げてもらった。また、コロナ禍においても、こうした交流の場をオンラインの場で作り続けた。

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↑「自分に何ができるか」考え企画した被服支廠のイベント

聞き書き甲子園への参加は、自分自身の知らない世界やそこに存在する人々の営み、社会問題を知る機会を得ると同時に、私自身が一歩踏み出す勇気や主体的に行動しようとする気持ちの変化を生み出してくれた。聞き書き甲子園を通して出会うことのできた全国の友人や名人との「縁」に心から感謝しつつ、これからも名人の姿を目標に生きていきたい。

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高垣さんの体験談はおわりです。次回の更新をお待ちください。


ありがとうございます。 列島ききがきノートの取材エリアは北海道から沖縄まで。聞きたい、伝えたい、残したいコトバはたくさんあります。各地での取材にかかる交通費、宿泊費などに使わせて頂きます。そして、またその足跡をnoteで書いていければ。