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センスという言葉の難しさ

何かを評価する時にセンスが悪いとかセンスがないと言う友人がいます。
その度に違和感を感じています。
横で聞いていてあまり気分のいいものでもなく、またセンスが悪い言っている友人に対しても普段はセンスが良いとも悪いとも考えてないけど、そう他者を評するするなら、あなたは?という風な目線をこちらも持ってしまうのです。
それもまた嫌な目線です。

センスとは、個人的感覚で行ったこと、作ったものを他者が共感した時に、その他者にとってセンスが良いとなったり、または共感されなかった時にセンスが悪いとなるのかなと思うのですが。

ですので、センスが悪いと言ってしまうと、まるでその人個人の感覚だけでなく一般論のように聞こえてしまうことが、しっくりこない違和感の原因だなと思いました。

特にアートやファッション、映画などに関しての良し悪しはかなり流動的なもの。
その物の歴史やストーリーなどバックボーンが見えてるものが多い人と、何も知らない人では見え方も違う場合もあります。
世界的に評価されている物であっても、もちろん個人的な好き嫌いはそれぞれがありますし、むしろその個人的な好き嫌いがとても大切な気がします。

自分が同じこと、またはそれ以上のことをすることができないのに、一刀両断のこのセンスが悪いと言ってしまうのはあまりにも無責任な言葉に聞こえてしまう。
パッと言葉がでてしまうならセンスが良いか、悪いか、よりも、好き、嫌いの方がしっくりきます。

あまり好みでないなというものや人にに出会った時に、なんで好きじゃないんだろうということを自分の中で追求して具体化してみることは、好きな物を追求するのと同じくらい大切かもしれません。

その個人的、好き、嫌いを積み重ねて吸収して、出来上がっていくのがそれぞれのセンス、個性になると思います。

センス良く、と言うことよりも、自分の個性でつくられていく自分が私にとっては心地がいいかなと思っています。
他者を意識するならば、スマートに、ということかな。

大人になるにつれて、言葉遣い、想いの伝え方、などはとても考えるようになりました。

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