誰かが居てその場で在れる

 私は基本他の人が居ないと生きていけないか弱い人種で高校生一年の頃に私は孤立していた。クラスの色んな人と無理やり関わって無理して生きようとしていたら誰も相手にしてくれなかったというただそれだけの話だ。
 孤立してぼっち飯をしている私に奴は声をかけてきた。そいつは身長が高くて前髪が長い冗談の好きな奴だった。初めのうちは変なやつだと思った。学校もサボり気味で遅くに来るのは日常茶飯事、それでも唯一私と話をしてくれた奴だった。そんな日々の中、ある日、奴は完全に来なくなった。不登校というやつだ。集団の中にいるのが苦しかったらしい、そして私は一人になった。
 一人になってすごく苦しかった。息ができなかった、そんな時に親に部活に行くのを禁止され、ますます息ができなくなった。溺れてもがけばもがくほど息がしにくくなっていって、きっとあの時は本当に情緒がおかしくなっていただろう、他人に言えないような事も沢山した。親にも先生にもかなり迷惑をかけた、もう生きれないと思っていた。そしてテスト前のある日、テスト課題が全くできていないことに気づいてそこで何かが割れたのだ。
 学校に行きたくない、そう思い不登校児になった。2、3日は親が朝出勤するまでの間に何時間も部屋の戸を叩き「なんでこんな子になったん」とか「もういやぁ」とか叫んでいたのを覚えている、4日目には諦めてそれもしなくなって私に任せるといった対応になった。それから何日か経って土日に親と出かけた時に小説を買ってもらった。
 買ってもらったのは「また同じ夢を見ていた」住野よる先生の作品だ。買ってもらってすぐ読み始めてキャラクターの抱える問題や環境がすごく自分と重なった、読む目から涙がこぼれた、辛いながらもそれでも一人一人乗り越えようとしていて生きるには前に進まにゃならんのだなと思わされた作品だった。思うに裏テーマとして後悔があって失敗して立ち上がれなくなっている人たちが描かれ、私は彼ら彼女らと同じ状況に立たされていたからこそ共感して、そこから立ち上がった彼ら彼女らを見て私もこの後悔を背負いつつ立ち上がってやらないといけないと強く思った。
 まずは学校に行って先生に唯一仲良くしていた奴の住所を聞いて放課後にそいつのもとへ走った。奴はインターホンを鳴らしても降りてこなかったが粘って家族さんにお願いして来させた。我ながら迷惑かつ強引な手を使ったと思う。奴とは数時間語り合い、日が暮れて帰る頃には私を縛って居たものは消えていた。心残りがなくなってからは学校で気高く生きた、一人なら一人なりの楽しみ方があると中庭で食事をしたりしてぼっちを楽しんだ。楽しくはなかったけれど肩の荷は降りていて空が明るかった。
 そして迎えた次の年度、新しい友人ができた。今度は慎重に壊れないように関係を築きつつ徐々に変人の片鱗を見せることで拒否反応を和らげ、見事に捕まえたのだ。そこからは自由、私が変人であることを許容してくれる仲間がいるのは非常に頼もしいもので様々なプロジェクトを立ち上げて動かすにあたって私の友人には世話になった。文化祭の台本作りに始まり、台本案が何本もでてきて選ばれなかったボツ台本を一冊の本にまとめて図書室に置いてもらうプロジェクト、図書室文芸誌の作成プロジェクトなどなど様々なプロジェクトを終了まで導いてくれた。彼がいたおかげでクラスメイトの批判意見を退けてプロジェクトを動かすことが出来た。これも一重に友人のおかげであると思っている。
 そして今、私は世間にあまりよく思われない嘘の研究をしている。嘘学を極めることはきっとずっとよく思わない人との罵りあいだろうと思うが今も友人や仲間に支えられてプロジェクトを動かせている。人に支えられて変な私は生きている。生きていけている。

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