他人の嘘観が好き

 他人の人間哲学的な物が私は元々好きでよく議論をしつつ他人の考えや行動原理をよく聞き出したりしているのだが、特に他人の嘘に対する価値観は聞いていて面白いものだ。
 人間哲学のある人というのは自分を客観視できていて集団の中にあることを意識しつつ集団とどう接するかという行動指針が定まっている。もちろん相容れない考えもあるがそれをつついてその考えに至る経緯を聞くのもまた楽しい。そしてその中でも嘘観というのはかなり興味深い、嘘をどの程度重要に考えているのかとか嘘と自分に関するエピソードなんかはかなり勉強になる部分も多い。
 ちなみに嘘に対して敏感にならないといけない人ほど嘘に対して鈍感なことが多い。そういう人は特定の場面では敏感に嘘を捕えることができるがその他の場面では嘘に鈍感なのである──ちなみに私も鈍感であったりする──。要するに嘘に対しての知識を持っていない人は嘘から身を守れないわけでどうしても経験外の嘘(もしくは見破った経験が少ない嘘)に弱くなるのだ。
 さて、この話を語ろうとしたのは書籍がきっかけで学術的でない感覚的に嘘を捉えた本だった。科学的にはどうだというのは書いていないが意外と科学と噛み合う部分が多く、その上論理が完成されているから読んでいて面白い。嘘というものの界隈は今、広がりつつあるものの未だ狭いもので嘘に対して無思慮に「悪いものだ!」と非難する輩も少なくない、中には「嘘は悪いもんなんだから嘘の研究なんかやるなよ」と言ってくる者も居るくらいだ。
 未だ狭い業界であるから「嘘ってこうだよね」という議論が活発でない。そのために個人の嘘観を書いた本を読んでいる時、私は本の内容と自分の知識をぶつけて一人議論をしている。「これは科学的にはこういうこと」「これは私の持っている嘘観とは少し違う」というふうに考えを磨き嘘に関する自分の中の哲学をより珠にする。完璧なものにする。だから他人の嘘観は面白い。


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