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ここらでちょっと振り返り…

初めてのメルマガというのをやってみようと
自己紹介記事を書きかけましたが
認知症についてはニーズがある方が限られると思い
メルマガからこちらに持ってきました。

誰にでもいる親のこと
限られると思わず
たくさんの人に読んでほしい?

いや、認知症なんていずれなくなって

植物が見せてくれる
枯れの軽やかさや輝きに
倣う生き方、暮らし方で
老いに向かっていきたい…

そんな自分の想いを振り返り

ちょっと風を通す意味での
認知症以降の母との暮らしの振り返りです。

認知症の親か、親の認知症か

「同居して認知症の母の介護生活をしています。」
なんて言ったら一気に重たくなりますね。
職場などでは言いづらくていらっしゃる
家庭介護の方も少なくないのでは、と思います。

認知症の人、認知症の親、認知症の母…という呼び方は
できたらなくなってほしいと思っています。

これだけで、私たちの意識世界の
認知症ががたっと少なくなりませんか?

私は当初から「母の認知症」と言って来ました。
人がまるごと認知症なわけではないからです。

ちなみにこれは
自分自身が不登校経験があり
子ども3人それぞれの不登校を通じ

「不登校の子どもじゃないんだ
学校に行くか行かないかはそれぞれに
彼らのほんの一部でしかないんだ」
という姿勢を

フラワーエッセンスを使いながら導かれ
「親の認知症」という事態にも
当たり前の流れとして反映しています。

以前、1年の介護生活に限界を感じ
施設入居してもらい
そして2年後に退出することにしたころ
母は別人でした。
すっかり認知症の人になっていました。
(私から見ると、です。)

コロナで外出ができない
陽に当たる機会も少ない、面会もない
強いお薬の継続は小柄で華奢な母には
排毒を担う臓器の仕事が追い付かないほどに
負担が大きかったと思われる…

もとは姿勢がよかった母の背骨がぐにゃっと歪み
背骨の横にポコッと飛び出した
コリコリの腎臓のあたりを
寝起きのたびに痛がっていました。

いろんな理由があったと思います。

入居中毎日のように電話していた娘の私がわからない
これには本当にショックを受けました。

まずは身体から…

同居生活に戻って1年半で身体はかなり改善。
認知症リハビリテーション協会での
指導内容に本当に助けられました。

いわゆる脳トレのようなものはありますが
あまりに出来な過ぎて萎むので

背中のコロコロ腎臓ちゃんのために
ひたすら水を飲んでもらい
(体重×30mlが推奨
カフェインや糖分が負担が大きいので
お茶やコーヒー、ジュースでなく!)

3カ月くらいで当たりの硬さが消え
痛がることもなくなりました。

 試行錯誤して使っていたフラワーエッセンスや
ティッシュソルトの
相乗効果もあると思います。

ティッシュソルトはミネラルのバランスに
補給ではなく
多すぎれば排泄させ、足りなければ補わせるもの

フラワーエッセンスは
身体症状に効かせるものではないです。

記憶のあるなしに左右されずに
諦めるところは諦めて
身体に向き合ってみるように
促してくれたと思います。

なぜ身体から?

そもそもの認知症の始まりが
心であるという認識は
だいぶ広がって来ていると思いますが
いかがでしょうか?
…といっても、親であっても自分ではない人の心を
どう治すというのでしょうか?

健全なる精神は健全なる身体に宿ると言います。

これはラテン語の詩の一節で
英語のことわざ
「A sound mind in a sound body
(健全なる身体の中の健全なる精神)」
という元があるそうですが

そこから日本では
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
となって定着したものの
元々の英語には動詞がなく
読む者の解釈による部分が大きいとのこと…

 

母はよく歩きます。
私がその機会と時間を作っているからです。

よく眠りもします。
こっちがエッセンスの出番としては
大きなところかもしれません。

 一見すべて受け身に、まるなげに見える
うちの母の場合の認知症では
本人が一番頑張っているのが
眠っている間ではないかと感じています。

眠っている間に何してる?

汗をよくかいています。
寝汗がすごいです。

それと、朝方の瞼がぴくぴくとよく動く
夢を見ているのでしょう…。

私がすることも、エッセンスが導いてくれることも
あくまでもお手伝いで

よくなる方向のことであっても
子だからと言っても親の人生は親のもの
せめてお迎えが来るまで寝たきりにならずに元気でいて
と始めたこの生活です。

眠っているときの状態や
その変化がいちばん
私の迷いや問いに答えてくれているように
感じながらの日々です。

もともと姿勢がよい、身体も丈夫な人だった
健全な身体の取り戻しの日々

 1年半前は深呼吸ができませんでした。
寝息と一緒に胸が上下せず
毎晩酷いいびきでしたが
いびきをかいているという事は
寝ていて生きているという事だから
とBGMのように安心して眠る日々でしたが
今はいびきはほとんどなくなり、呼吸も深くなりました。

最近のこと

これだけ身体が佳くなってきているのだから
…と、昔の話などを振ってみると

以前のように、すべて「わからない」
ではなくなってきました。

「わかる?」
と訊けば
「うん」

「わからない?」
と訊いても
「うん」

というお約束パターンを
少しやり取りしますが
そこの門のようなところを抜けて
本当に「わかる」という会話に
なって来ているこの頃です。

 裏のない
ありのままで、かつ前向きな
シェアをしていこうと思っています。

よろしくお願い致します。

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