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展示鑑賞録♯12 デヴィッド・ステインベック個展-ドリームスケープ 4/1

過去の美術を踏襲しながら今に向けた新しい画面を作っている。
展示会場は六本木だが雑居ビルの変なところにあるのも関わらず、今っぽい普通の特に美術に関心があるわけでもなさそうな同年代の若い女の子たちで賑わっていた。
それがすごい。あたらしいものを提案するのに成功している。
が、私は好きではない。


デヴィット・ステインベック
1978スウェーデン、ルンド
自身の詩の世界を視覚化すべく3dソフトを使用し制作。

詩人が自分の言葉視覚化しちゃうのかあ、、
彼の作品などのことをしっかり知っているわけではないから、言い切ることはできないけど、言葉を操る人が自らそれを視覚化してしまうのはどうなんだろうか。言葉を操る人が、勿論情景は絵のように思い浮かべるだろうが、それをできる限りの言葉を選んで表現するのが美しいのではないか。そして言葉での表現ならではの情景の想像に人それぞれの余白?のようなものを与えるからいいのでは?
最近の若者が文字を読まないから導入の誘導?宣伝?としてなのだろうか。


私の頭は足が速いから、何の展示に行ったとかすぐ忘れてしまうから、記録しようと思って、好き勝手書いてるわけだが、いいのか?ふと少し不安になる。

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