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ブラジル石川県人会主催のチャリティーコンサート

 こちら、サンパウロも3月3日雛祭りの当日の朝を迎えています。時間が先を行く地にお住みの皆様は、どんなお節句をお過ごしになられたでしょうか。

 ヘッダー写真は我が家のお雛様たち。全ていただきもの。普段からインテリア的に飾り棚に飾りっぱなし(娘の将来は大丈夫なのでしょうか)なのですが、昨日ここぞとばかり引っ張り出して来て撮影、あることに気付きました。(間違い探し。よろしければ。)外国だし、ご愛嬌ということで。今は正しいポジションで飾り直しました。全面に出るお内裏様たち(笑) 三人官女さんたち、ごめんなさい。

娘は卯年生まれ。(ちょうどイースターまでカウントダウンで、こちらでもウサギの飾り物をよく見かけます。)
みなさんありがとう♡


 昨日、3月2日(土)、石川県人会勤務の古くからの友人に声をかけていただいていた、能登半島地震支援のためのチャリティーコンサートに行ってきました。いろいろな方法はあるけれど、このような形で伯国の日系社会から被災地の皆様に想いをお届けできることを大変ありがたく思い、この日を心待ちにしていました。

 彼女からのお知らせによれば、コンサートの発起人となったサックス奏者の方はサンパウロ在住の日本人女性で、彼女がこの日のために仲間を集めて下さったとのことでした。石川県人会の絵画教室の生徒さんなのだそうです。Sonokoさん、お仲間の皆様、県人会の皆様には感謝しかありません。

会場に着くと前の方の席は既にこのように埋まっていました
友人も忙しくあちこち動き回って。。

 受付でチケットを確認、ペットボトルのミネラルウォータをいただいて会場に入りました。ざっと見たところ、パイプ椅子が150席くらい並んでいたでしょうか。前席は既に埋まってしまっていたので、後方の席につきました。私たちの席からステージはこのような感じに見えました。

 お客様は女性が多い感じ。日系二、三世の方々や日本からの駐在員ご家族と思しき方々もいらっしゃって、サンパウロの日本語話者が勢揃いという感じでした。演奏が始まるまでに客席はほぼ満席になりました。

 15時、定刻より少し遅れて開演。(ブラジルではありがち。)まずは日系社会らしく、来賓の方々のご挨拶から始まりました。在サンパウロ領事館、文化協会や県連からのご要人は狭い日系社会なのでみなさん顔見知りの方々でした。(主に夫の元職場の上司。)

 県人会の会長さんは二世の女性の方でした。今回のコンサートで集まった義援金、その他の寄付は纏められて4月に石川県に送られるとのお話でした。日伯の両語ができる方々はご自身で通訳をされ客席に気を配って下さいました。それぞれが寄せられる被災地への想いにジーンときました。

 さて、いよいよ演奏が始まります。演奏はこのセットリストに基づいて進行されました。編成は7人のseptetでした。

受付でうっかりいただきそびれていたプログラム。後で「まだありますか?」と司会の若き日系青年に訊ねたところ尽力してくださり。2、3人の青年たちにも声をかけていただきました。「もう手に入れましたか?」と。
曲目は誰もが知る名曲ばかり。

 はじめの「ふるさと」、「浜辺の歌」などは日本からの移民の方でなくても、二世、三世の方々なら両親や祖父母が口ずさむ様子を見て大きくなりご存じなのではないでしょうか。私も童謡、唱歌好きの母の鼻歌や、レコードを聴いて、その後学校の音楽の授業で再会、という感じでした。とても馴染み深い曲たちです。ただ、バリバリのジャズアレンジだったので、一世の方達にはあれ⁉︎という感じだったかもしれません。

 3曲目の「上を向いて歩こう」は、バンドのリーダーのSonokoさん(サックスの方)が、「みなさん、一緒に歌いましょう」と自らマイクに向かわれました。海外の日系社会ではよく見かける光景です。何度も聴いたあのメロディー、歌詞、私も何の迷いもなく歌い始めたのですが、途中から涙が込み上げてきて歌えなくなってしまいました。

 年配の一世の方々(義母世代)のそんなお姿はよく目にはしていました。けれど、まさかこの自分がそんなことになるなんて。不謹慎ですが、その時ばかりは今までの伯国生活のあれこれが走馬灯のように頭の中に駆け巡ったような感覚でした。健康の問題で会場には足を運ぶことが出来なかった義母はこの曲を聴いてどのように遠い故郷に想いを馳せるのでしょうか。

 やはりみなさんに馴染みの深い「赤とんぼ」はボサノヴァに始まり、サンバで終わる。印象的なアレンジでした。さすがブラジル。「イパネマの娘」は言わずと知れた、アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ジ・モライスコンビによるスタンダード曲。この曲はのちにアメリカ人サックス奏者のスタン・ゲッツ、ブラジル側からはジョビン、ジョアン・ジルベルト、その妻のアストラッド・ジルベルトのコラボでレコーディングを果たして、大ヒット。1965年に出たシングル盤ではグラミー賞を受賞し、ブラジル人なら誰もが歌うことができる名曲です。(残念ながら私はまだ。うーん、勉強不足。)

 セトリの中程だったでしょうか。それまで通路に立って演奏を聴かれていた、帽子を被られた長身の非日系の男性がこの曲を歌い始めました。夫に曲名を訊くと、ネルソン・ゴンサウヴェス、ハファエウ・ハベーロの名曲のNaquela  mesa(On that table)とのことでした。哀愁漂う曲を飛び入りで⁉︎大熱唱されていたので思わず動画に撮りました。

 みなさん大盛り上がり。ブラジルの方々のこんなところ、大好きです♡

 名曲が続き、いよいよラストとなりました。「花は咲く」。ヴォーカルを務めたのは非日系の、アコースティックギターで参加されていた男性でした。ローマ字に書き下された歌詞が表示されていると思われるスマホを片手に。これもまた一生懸命に練習されたのだろうなぁと思うと胸がいっぱいになりましたが、こちらは最後まで歌うことが出来ました。中盤から客席の皆さんも起立して思い思いに歌を口ずさみます。これでおしまい。

誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に

 お開きとなった時に、私の友人が忙しい合間を縫って駆け寄ってきてくれました。県人会の会長さんが、先日の公園での出来事(公園でランニング中だった友人の娘さんを思わず呼び止めて、わずかながらの気持ちをお母さんに渡すようお願いしたこと)を覚えていて下さったからです。お忙しいところ恐縮してしまいました。

 友人はこの仕事を最後に、今月いっぱいで県人会の仕事から離れる(リタイア)されるそうです。会社員時代は彼女も夫の同僚でした。厳しい一世のお母様に鍛えられ(お母様との会話にポルトガル語が混じると、返事をしてもらえなかったそう)日伯の両語が堪能です。

 おそらく最後の大仕事と思われる今回のイベントが成功裏に終わって本当によかったです。聞くところによれば、先週までは60席程度しか席は埋まっていなかったのだとか。日系の新聞に広告をうち、大奮闘。お客様の大半は会員外からとのことでした。宣伝の拡散は大切です。良いイベントでも、たくさんの方に届かなければ残念なことになってしまいます。

 彼女は退職後の日本の初夏に、学生時代につくば学園都市に留学の経験がある娘さんと共に日本旅行をされることになっているそう。会社員時代に出張の機会に恵まれなかったそうで、日本初訪問を楽しみにされているようです。まだ新しい方への引き継ぎなど残務が残っているそうなので、あとひと踏ん張りですね。会社員時代もそうでしたが、職場の皆さんに惜しまれながら職場を去る......仕事ができて人望が厚い彼女ならではでなぁ、と私も嬉しく思いました。

 マルシアさん、長い間よく頑張りましたね。お疲れ様。この度は素敵な企画をありがとう。伯国日系社会からの想いが、被災地に届くことを喜ばしく思っています。コンサートも素晴らしかったです♪またこんな機会があることを耳にしたらぜひお知らせください。

 母娘での日本旅行を楽しんでくださいね。又、日本でのこちらのお願いを色々聞き入れてくださったことにも感謝致します。。Boa viagem!! 良いご旅行を。

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