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高校生のときはバスケ部だった。特に強いチームというわけではないが、かなり真面目に活動していて、他の昭和の運動部と同様、土日を含む(土曜日は学校ある時代)ほぼほぼ毎日部活があったのだが、水曜日だけ休みだった。

その水曜日が、唯一、週一回の活動日だった華道部にも入部して兼部していた。同じく兼部していたバスケ部の先輩に誘われてなのだが、自分の本質は文化部のそれだという自覚があったものの、いわゆる多数派に属していたいというこれまた昭和的な価値観のもとに選択した結果に抗う気持ちはたぶんあった。

外部からその時間だけ来ていただいていた草月流の先生は、ズバズバ、シャキシャキ指導なさる方で、先生の一言や、先生がちょっと動かした花の角度で生け花の美しさが一瞬にして増すことに感動した。お免状をとるほどには熱心にとりくんではいないのだが、ふとしたときにその楽しさを思い出して花を生けることがある。

華道部として高校の文化祭で生け花の展示をしたときには、花の状態が日々変化するため、毎日少しずつ手直しをした記憶。

花の写真をとるのが好きだ。そのときの美しさ、という意味で期間限定の姿を写真にどうしても留めたい、そんな気持ちで写真を撮る。

以前はケイタイやスマホと、普通のカメラの機能に大きな差があったので、カメラを持ち出して写真をとることが多かったが、最近は撮影機会のほとんどがスマホであり、プリントすることもめったになくなってしまった。私のスマホのフォトフォルダにはたくさんの花の写真が並んで、私以外にみる人もいない。 

2月の笠浩二さんのお別れの会では、参列者がピンクの花を一輪ずつ持ち寄り献花した。

2015年の渡辺英樹さんのお別れ会の献花式では「ピンクのバラを一輪」が公式からのお願いだった。英樹さんが歌ったC-C-Bの曲「LuckyChanceをもう一度」の歌詞、

「ピンクの薔薇の束を 背中に隠しながら」

にちなんだものであり、それはいかにもふさわしかった。

笠さんの献花式において「ピンクの花を一輪」と主催者から呼びかけられたときに、2015年のそれをみんな思い出していただろう。

ピンク、は、もちろん、昔も今もずっと笠さんのイメージカラーであり、献花式に向かうにあたり、笠さんにはどの花がふさわしいかを、その思い出とともに考えて選んだのは、私だけではない。

たくさんの思いを花に託して、笠さんの写真の前の献花台に手向けた、このことの意味を今なおずっと考えている。

先日、葬祭ディレクターの佐藤信顕さんのこの言葉に出会い、花の意味、花であることの意味は、やはり考え続けていこうと思った。

花についての、私の、とりとめのない思い。



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