自分の心

三浦春馬さんが亡くなって、心の中にずっと重苦しいものを感じていた。
せかほしを見たりしていたし、彼の主演ドラマで大好きだったものがある。

それだからなのか?
それか思ってた以上に好きだったのか?

どうにも晴れない気持ちを抱えながら考えていた。
しかし、どう理解しようとしても、心の中の重苦しいものはどんどん広がっていく。喪失感とは別の何かが。

何かがおかしい…。

ある朝、脳裏に浮かんだ1つの疑問

「自分の心に正直に生きているのだろうか。」

それが心の中の重苦しいものの正体だった。
気がついた時、涙が止まらずどうしようもなかった。こんなことは初めてだった。無理やり止めて会社に出勤し、何事もなかった顔をして仕事をして、家に帰ってきて、また涙が溢れる。
完全にメンタルがやばい人になっていた(笑)

ここ2年位私は仕事が原因で心の浮き沈みがとても激しかった。3月に異動したこととテレワークをするようになったことである程度は落ち着いたつもりでいた。しかし、実際はコロナでできた暇な時間で、色んな本を読み、頭による心のだまし方を勉強し、心をだましていただけだったのだと思う。自分に向き合ったつもりだったがそうではなかった。

この世を去った理由は本人しかわからない。しかし、この状況になるには本人にとって深い悲しみや辛さがあったことは想像にかたくない。「自分らしくいられたなら…」という想いが、私自身の心の何かを開いたのだろう。私は色々な状況に感情がとても引っ張られやすい。感情移入しすぎるのだ。それも理由の1つだとは思う。

気がついた後、心の中のなんとも言えない重苦しいさは消えていた。心がずっとSOSを発していたことに私は気がついていなかったのかもしれない。

自分の心に正直に
自分らしく

これは色んなところで踊っている言葉だ。
しかし、言葉ほど簡単なものではない。

そもそも自分とはなんだ?

気がついたきっかけはあまりに悲しすぎる事実というのが辛すぎるが、彼に気がつかせてもらえたのかもしれない。

彼のことを書いている記事で、この出来事は人生にとってただの一コマで、それによってオセロのように変わるわけではないという趣旨の文章があった。
本当に素敵な文章だと思う。
死を語るのではなく生きた時間を語る。

彼の出演作品を見るとなんとも言えない寂しさと同時に才能の裏の大きな努力を感じる。
屈託のない笑顔の裏に見え隠れする、憂いを帯びた目が彼の魅力を更に大きくしたのかもしれない。
せかほしはまだどうしても見られない。でも、彼の生きた証をゆっくり見ていきたいと思う。
そして、今はただひたすらに彼自身が安らかにいられていることを願っている。

目まぐるしい毎日の東京にいて、一体どうするのが自分にとって良いのか、自分の心にゆっくりと語りかけてみたいと思う。固まってしまった心を解きほぐすように。

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