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事の起こり

子供の頃みた風景と同じ場所の風景が大人になった今新たにリンクしていく。折り重なっていく。上塗りされていく感じではなく過去の記憶とセットになってくっついて更に再構築されていく感じ。
幼少期、高校、上京する前の2年間だけの就職期。何百回何千回と通った場所の記憶。
それが見る側の感受性によって見え方って変わっていくんだなって思った。普段なら関わりのない世界、たとえば立ち寄る目的の一切ないお店とか関わりもない人の家とか、そういう場所が意識的な属性とは無関係の、無意識の中で発生する感性によって、すごく気になったりその場所を写真におさめたり違う角度で眺めてみたり、「これなんだろう?」って考えてみたり。その無意識を出発点として着目した場所や人が意識に転換されて動いて行動して関わり合いが生まれていく感じっていうのが、子供の頃や学生時代には生まれ得なかった出会い方で、それはきっと感性のトレーニングの賜物だし、だんだんと洗練されていってるなって感じがする。「これなんだろう?」ってめちゃくちゃ大事で、それが目に見えないゆるやかな波のような形ですこーしずつ変化して行動に変わってその先で出会いをもたらしていく。場所なり人なり。場所は歴史だし時間だし、それがたとえば横並びで行くと現代っていろんな文化や娯楽が出尽くした感あるけど、YAMAPの春山さんが成田悠輔との対談で冒険の定義という話の中で「縦に掘る」って言い方をしてたけど、広大な地球のその裏側の事情や流行に一喜一憂する前に、まず自分の立っている場所の史実や地形や植生、または食文化やそこにしかない文化の成り立ちを知るっていうのがまさに縦に掘るって作業だと個人的に解釈していて、これからはそういうのが重要なのかなと。まー個人的な事だからそれを啓蒙するつもりはさらさらないし勝手にやってようって感じなんだけど。
その対談の中で「流域思考」という話についても掘り下げてて、どういう話かって言うと、今までは都市は都市、山は山、みたいな感じである種無関係に見えがちだったものが、たとえば東京なら奥多摩の山間から多摩川が街へ流れ流れて海へと繋がって。その水によって支えられている生活の、つまりその流域をつかさどる「生命圏」を知るというのが重要、という事を話してて。
その「流域思考」という言葉はその対談の回で初めて聞いたんだけど、ぼくもなんとなくそれについては東京のあきる野市の家に住んでた時から考えていて。
ぼくが住んでたあきる野の山間の一軒家にも山水が通っていたんだけど、地域の人達と一度家の少し上にある山水のろ過設備(設備といってもかなり昔につくられたもので、ブロックで四角く囲われた中に流れ込んでくる山水をそれぞれ大きさの違う石が敷き詰められていて、それによってろ過するというもの)のメンテナンスを近所の方たちとしたことがあったんたけど、「この水はどのあたりから流れているんだろう?」と気になり、その水を辿って沢登りをしたことがあった。

「ミニマムな暮らし」とか「ローカル」とかって言葉にすると簡単なんだけど、自分の生命圏の成り立ちを知るという行為は、本を正せば自分自身を知ることだとも思うんですよ。それによって確かな手応えを感じられる気がする。そう、なんか手応えが欲しいんですよね、ここで生まれ育ってきた事の手応えが。腑に落ちたいというか。

それで言うと地元にいた頃には知らなかった事がひとつあって、宮崎県綾町というぼくの地元の隣町が、国内で最大規模の照葉樹林帯で、およそ2500ヘクタールあるらしいんだけど、子供の頃はそれこそ毎年「照葉樹林マラソン」というのが綾町で開催されているのは知ってたけどそもそも照葉樹林とは何じゃいな?って感じで。

照葉樹林とは簡単に言うと常緑広葉樹のことで、冬でも青々とした葉は散らず、その葉が厚く光沢があることから「照葉樹」と名付けられているらしい。
綾町の照葉樹林には大吊橋が架かっていることも当然知っていたけど、一度も渡ったこともないままこの歳まで来てしまった。隣町なのに。
そんで一度はその広大な照葉樹林をしっかり見たいと、先日チン中村(中村明珍)のトークイベントを宮崎市内で観た翌日に、その足で綾町へと向かったのだ。

奥地へと続く一本道はやがて吊り橋のたもとへ。車を停める。お金を払って吊り橋へ。
すごい。広大過ぎる。ぼくは高所恐怖症なんてないんだけど、吊り橋のど真ん中でその広大さと落差とで生まれて初めて足がすくんだ。


ツバキ、シイ、カシ、クス、タブ、ユズリハ。どれも自由でのびのびと育っていた。かっけえ。

手前にあるビジターセンターみたいなとこに照葉樹林帯の分布図みたいなのがあってそれで初めて知ったんだけど、西はヒマラヤ山脈に始まり、台湾、中国から、東はだいたい日本の関東地方までベルト状に広がっているという。そこで一個思い出したのが、今年の5月に訪れた三重・和歌山の山々もまさに照葉樹林帯で、だからなんか懐かしさを感じたのか―と納得した。なあんだ、だから熊野が生んだ知の巨人南方熊楠に興味を持ったことも自然な流れだったのだ。なんせ熊楠が研究していたシダ植物は照葉樹林一帯によく見られる植物で、こっちでもいろんなシダ植物が見られて現場の行き帰りなんかで峠の法面や川っぺりなんかにたくさん生えてて、「おーい!シダちゃーん!」なんて手を振ったりなんかしてる。


照葉樹林帯の分布図
どこでもあるウラジロ。正月飾りにつけるやつ


三重で見たウラジロの新芽。めっちゃかっけえ
たぶんハイコモチシダ。バリとかタイの金持ちが両サイドから女性に団扇見たく仰がれてるやつっぽい
初めてみた!ヘラシダってやつ
たぶんイワガネソウ
シダ生徒達と引率の照葉樹先生(左上)の集合写真

シダはとにかく種類が多くてとにかく覚えきらないので、少しずつ調べたいなと。

そう、そのビジターセンターで植物学者の中尾佐助という人の文章が目に止まって、中尾佐助は「照葉樹林文化論」を提唱してるらしく、何かというと、ヒマラヤ山脈から連なる照葉樹林帯一帯でかつて古き良き営みをしていた人達の生活様式というのが、日本も含めてとてもよく似ているらしく、さらに面白いなと思ったのが、宮崎駿がその中尾佐助にめちゃくちゃ影響を受けてるらしくて、彼の著書に熱い熱い書評を書いていると。それこそぼくが幼少期に公開された映画『となりのトトロ』の中で描かれている森はまさに「照葉樹林」なのである。めーちゃくちゃおもしろい。なんかいろいろ繋がってくる。なので中尾佐助についても俄然興味が湧いてきたって感じで。時間がいくらあっても足りないっすう。とにかくぼくは誰にも任務を課せられたわけでもなく勝手に興味のあることの研究を進めて世界を縦に縦に掘りまくるっす。いやむしろ横の拡がりもあるから縦横無尽って感じですね。

照葉樹林って、文明が山々が開墾されて人々の生活圏が拡大される程にその範囲が狭くなっているらしいんだけど、知れば知るほどに身近な照葉樹林の山々が尊いもんだしかわいさ増すし、もっと知りたくなるしこのままこれ以上減らないでほしいね。だから林業をやってる身としては結構複雑な心境。人工林を植えるためにある時代にかなりの範囲伐採されてきたんだろうし、今新たに更新されてる針葉樹の山も同じようにスギ・ヒノキを植えることがほとんどなんだけど(そういう方針なのかもしれない)、萌芽更新して元の照葉樹林に少しずつ返していくっていうのもひとつの手なんじゃないかなあって思うんだけど。そういう思いがあるならそういう団体もあるようだし、近い気持ちを持った人たちと話したりしたい。林業は仕事としては素晴らしい仕事だとも思うけど、一方でかつて林業を営んでいた多くの人達が離れてって国内に放置林が増えてったのも事実だし。これを綺麗な山に整備し直すにはあまりにも規模が多く、かつ人手が足りなすぎる。

成田さんとYAMAPの春山さんの対談でも、生命圏の話の延長で、山と街の境界をなくして自然にもっと向き合って欲しいと願う春山さんに「より崇高な気持ちで向き合おうとしてる人って国内の人口の1割にも満たないんじゃないんですかね」って言ってたし、さらに興味を持たせるには「山クーポン」とか「ポケモンGO」の山版みたいなのをつくるとかそういう発想になるっていう。今の生活場所の選び方って「職場へのアクセスがいいか」とか「近くに食材豊富なスーパーがあるか」とかそういう選び方でしかない。地域性とかそこから見える山並みが綺麗でとかそんなんでは少なくともない。

やっぱり身近にシンボル的な山があったり変わらない景色があるってめちゃくちゃ大事だなーって思うんですよね。地元なら霧島連山、静岡あたりなら富士山、茨城ならつくば山、青森なら岩木山、みたいな。ぼくは生まれる前にこの地を選んだ訳じゃないけど、やっぱりそれでも愛着がある風景。それは談志の言う妻に対する「添い遂げる美学」みたいなものにも近くて、あらゆる角度でもってその地と向き合い続ける作業ってすごく大事な気がする。

ここ最近、夕暮れもしくは朝もやに紛れた霧島連山が空と陸との境界線がなくなる瞬間を何度も見て、その境界線のない状態が凄く個人的には救われた感があって。わりと社会は分断していてそれぞれのレイヤーが決められた形によって可視化できちゃうくらいの関係性でしか成り立ってないことが多くて、それに時々絶望感を感じるんだけど、その境界のなさを見て自分が生きてることと地続きになってる状態、直結してる感じっていうのがめっちゃ良かったんすよね。この境界線のない世界の一部として自分も存在してるんだなっていう実感が湧いた。

それに合わせて、初めに話した「これなんだろう?」の景色の記憶とか体験もちゃんと心の中に留めておきたいって思う。全部地続きなんす。

具体的に言うと、結局なんでそれが気になっていたのかって理由にまでは結びつかないんだけど、子供の頃見た地元の風景や場所で「これなんだろう?」って思ったものがいくつかあって。それをちょっと紹介しやす。


野尻町の畜産戯画
反対側から


三之宮峡の看板のイラスト
265号沿いのたけのこみたいなやつ


真方体育館(小林市)の巨大な絵
アップ


まず野尻の街灯。畜産王国宮崎の象徴的な牛と豚。背景の水色の色味といい縦書きで「野尻」って描かれてる感じといい、メロンを連想させる黄緑色の街灯といい(実際野尻町はメロンが名産品らしい!そうだったっけ!)、なんか子供の頃からこれがすげえ気になってた。芸術でも爆発でもないけど「なんだこれは!」って感じだった。

次は三之宮峡の看板のイラスト。これも子供の頃から変わってないんだけど、いつも親の車で遠巻きからしか見えないこともあり、「あの絵はトランプのクイーンとかかな?」とか「赤いのは星かな?」とか思ってた。実際あれは紅葉を描いてるんだろうけど。

それから国道265号沿い小林と須木の境あたりにポツポツならんでるたけのこみたいなアレ。あれは未だに謎。なんの意味があんのかも謎。

最後は真方体育館の踊りのイラスト。あれも子供の頃からずーっと変わってなくて、調べたら真方に昔からある伝統の「兵児踊り(へこおどり)」という踊りのイラストらしい。あれはてっきりぼくらもやってた地元の伝統芸能「城攻め踊り」だとばかり思っていた。30年越しくらいに知る真実。おもれえ。

「これなんだろう?」って記憶が子供の頃からあって、その「わからなさをあっためる」のって、いいっすね。そういうモヤるスポットを集めて地元の私的ローカルモヤモヤマップを作りてえと今思案中でやんす。

なんか今話した話って下のタモリの話にすごい繋がってる感じするんですよね。

なのでこうして今子供の頃のわからなさをあっためてるのと同時に、新たにわからなさを生み出していきたい。なんか楽しいね。

来年もよろしくです。

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