KIKORIBEATS

地元宮崎で林業をやりながら自然のことや地域のこと等、日々思ったことを綴っています。

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マガジン

  • コラムのようなもの

  • 詩または詞

    言葉を拾いあつめたり。

  • 思考の吹きこぼれ

最近の記事

わからなくなってきました

毎日、ほぼ毎日仏壇に手を合わせてる。マッチでろうそくに火を灯し、線香を焦がし、おりんを鳴らす。日々同じことなのに日々変化してる。その変化がめちゃくちゃおもしろい。その変化に気付かさせる為にばーちゃんはおれに手を合わさせようとしてるのか。 なまんだぶなまんだぶ。二階の寝室におって階下の仏間から親父のそんな声が、低く唸るような声が聞こえてくる朝5時半。実際なまんだぶと言ってるかわからないがある時からそれに気づき、自分も真似してみることにした。 なまんだぶなまんだぶなまんだぶな

    • 理性と野性

      人間の内側に本来ある、元来ある「理性と本能」というものを「理性と野性」として置き換えて考えてみる。言葉は違えど個人的には「野性(野生性)」と言った方がわかりやすい。 野性とは子供の頃の剥き出しの感覚、童心、わがまま勝手、なにが正しいとか正しくないとか、時間の感覚、文字の感覚、色の感覚、親と子、自分と他人、男と女。そのすべての境界が区別されておらず曖昧模糊とした感覚の状態のこと。理性とは学習によってそれを客観的にコントロールして整理して位置づけして区別する脳の在り方。そのふた

      • 一生は一枚の絵

        ふと昨晩、思ったことがあって、自分というものが生きてく過程は、死ぬまでにおいて、一枚の絵なんじゃないかということ。 はじめ生まれてから幼少期までは形のわからないぐちゃぐちゃな線、色の概念もない、とにかく思うままのぐちゃぐちゃな線。 それが少しずつ大きくなるにつれて鮮やかな色合いを持ったり、バッキバキの原色を塗りたくったり、やさしい線をひけたり、そこに深い陰影を重ねたり。 ひとり一枚。誰とも被らない一枚の絵。そういう視点でいくと、「今はモノトーンでしか描けない時期なんだな」

        • ゆらぎの下降線

          創作を生み出す根源にあるのは人間の心のゆらぎ、特にそのゆらぎの波の下降線に差し掛かる所にこそあるように思う。ズーンと下がっている時、このまま平常に戻ることなどあるのかと不安に苛まれ呼吸が浅くなる。思考のスピードがゆっくりになる。思考が停止するのではなく、脳が無意識にバランスを取るようにスピードを遅めているかのような。それを「やる気が起こらない」とか「なにも考えたくない」などと口にするけども、実は新しい何かが生まれる際の変化の証なのかもしれない。それは意識から脱却して一時的に野

        わからなくなってきました

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        • コラムのようなもの
          44本
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          8本
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          7本

        記事

          自分をコンテンツ化しない

          自分をコンテンツ化しない。別に何者にもならなくていい。 MOROHAのアフロは「三文銭」のライブの中で「ぶっ飛んでなくなっていいぜ、いかれてなくたっていいぜ 普通でいいんだ 真っ当は真っ当なりに お前を全うしろよ」という。 絵を描いたから絵描きとか、音楽活動してるからミュージシャンとか、YouTubeに動画上げたからYouTuberとか、詩を書いたから詩人とか、そんなんじゃなくて、その手前に見つけたであろうなにかが生まれた時の感情ですべてが始まったと同時にすべてが終わっている

          自分をコンテンツ化しない

          自分マニア

          書くマニア、見るマニア、動くマニア、知るマニア、聞くマニア、寝るマニア、自分マニア。 とにかく書く。日記でもなんでも。思いついたこと。今日スーパーで買うものリスト。怒り。住所氏名。知り合いの名前。友達の名前。つぶやき。note。食べたもの食べたいものやりたいことやってみたこと。スマホで打ち込んだ文章も手書きのメモも日記もレポートも手紙もラブレターもこの現在地点までの幾年月重ねられた文字が自分の足元から黒塗りの影となりこの体を支えている。この言葉が、文字が、自分を新しいどこか

          自分マニア

          街裏ぴんくと世の中

          街裏ぴんくがR-1グランプリに優勝した日から1ヶ月が経とうとしている。 あの夜ぼくは仕事でもお世話になっている高校の同級生の新築にお邪魔し、幼なじみ含めた数人での飲み会に参加していた。 街裏ぴんくが優勝。テレビ越しに見たその現実に、何が起こっているのかまったく把握出来ていなかった。しばらくしてだんだん実感が湧いてきて、感情が抑えきれず友人の前でひとりおいおいと泣いてしまった。 というのも、かれこれ7、8年前のある時期に、街裏さんとは付き合いがあった。 当時ぼくは東京で音

          街裏ぴんくと世の中

          にんじんのグラッセが反則すぎる

          にんじんのグラッセが反則過ぎる。 ただそれだけ言いたい。 ひとり暮らしを始めて、自炊するようになった。 基本的には毎日晩酌するので、晩ごはんを作るというよりは、酒のおつまみをつくって食べる→楽しくなる→楽しさがピークに達した頃にご飯をたべる という流れが出来ていて、もはや幸せでしかない。 自炊するようになって、近くの書店でタサン志麻のレシピ本を買ったのがにんじんのグラッセをつくるきっかけとなった。 とにかく簡単で美味すぎる。にんじんが一番好きになるレシピです。マジで美味い

          にんじんのグラッセが反則すぎる

          最近のうれしかったこと。

          宮崎はここんところ雨が多くて、仕事がろくに進まない。平坦な現場なら良いけど、斜面なので雨だと滑って材が出せない。 そんな中少しずつ確実に春の訪れを感じる。もちろん自分自身の心にも。 菜の花やホトケノザ、ナズナやバライチゴの花に始まり、ふきのとう、タラの芽(こっちではダランメ)、わらび、ぜんまいなど山菜たちも目を出し始めている。それに習って、庭木の柿やモミジも新芽を出し始めてかわいい。 あったかいっていい。血行がよくなって体がうきうきする。どこかへ行きたくなる。やさしい気持

          最近のうれしかったこと。

          自分でつくった音楽を聴くのって自分でつくった料理を食べるのに似てる

          仕事終わりに作曲。 自分は別にアーティストでもなんでもない。でも関係ない。とにかく頭の中で浮かんだものを運転中だろうがスマホのボイスメモ起動させて録音して帰ってそれを聴き直して改めてピン!と来たものは更に詰めていく。 楽しい!を積み重ねていく作業。とにかく「つくる」作業ってのは爆笑を伴う。爆笑したり泣いたりできない自分の心を揺さぶらないものは作り上げない。惰性でやるならつくらない。 自分の「楽しい」をたくさん作りまくってそれをどんどん積み重ねていく。その後どうなるかとかはまっ

          自分でつくった音楽を聴くのって自分でつくった料理を食べるのに似てる

          アウトプットは「愛」

          すっごい腑に落ちた事があるので書きます。 日頃ぼくはとにかくアウトプットアウトプットと自分に言い聞かせていて。どういう事かというと、アウトプットすることで自分の心を浄化させることができると思うんです。だからこうして文章にするなり絵を書いてみるなり、いろんな形でもってとにかく外に出すことを日頃から心がけています。とにかく表現するのだ、と。 だけどそれは、あらゆる人間がこの社会で生きていく中で、「友達が出来ない」とか「ひとりで寂しい」とか、内側に塞ぎ込んでしまいがちな心を解放

          アウトプットは「愛」

          その弱さが見たいんだよ

          外界からの動きが心を邪魔してくる。余計な情報を毎秒1000こぐらい与えてくる。うるさい、うるささのノイズ。波動。 だからこそなにかひとつのことに目を向けたくなる。スマホの画面を開く前にその先に見える世界がある程度予測されるのだ。広告動画。海外のおもしろ動画。知り合いの投稿。芸能ゴシップ。皺がなくなる薬。陰惨なニュース。新しいアプリ。株価指数。著名人の名言。論破。女子アナが脱いだ。奇跡の1枚。 世界での立ち位置としてマルティン・ブーバーの言う「我=汝」ではなく「我=それ(it

          その弱さが見たいんだよ

          心が風邪をひく

          最近気づいたことがあって、自分自身の状態がとてもダウナーになる、人とも話せなくなる、会えなくなる、籠る、断然を測る状態っていうのが、実は風邪をひくってのととても似ていて、自分の内側で「ちょっとフル回転させ過ぎだからちょっとアンタ休みなさい」っていうシグナルだというのがわかった。 ぼくの場合でいうとそれはとても短期的(長くても一週間)なので、ほんとに風邪に近くて、そうやって体、いやもっと言えば自分の魂が必死にバランスをとろうとしているように思う。 冬の寒い時期は調子悪いと言

          心が風邪をひく

          春のざわめきを前に

          酔いまどろみキッチンにて、石油ストーブで温められた部屋で、それまでうずくまっていたヘリグロテントウノミハムシとキアシブトコバチが楽しそうに飛び回っているのを見て、まるで自分のようだと思った。 冬は基本的に調子が悪い。体中が冷えて肩は凝るし首は張るし目は重だるいし気持ちは落ち込みがちだし、「ああ早く春よ来い」と願うのは毎年のことだ。冬はどこへもいかず部屋の虫たちのようにただただうずくまっていたい。冬眠していたい。ここ最近坂口恭平も冬眠(鬱状態)から覚めて元気に動き回っているよ

          春のざわめきを前に

          30代はネタフリ

          今を生きる。一見するとかっこいい言葉に聞こえるけど、案外これが精神的にどん詰まりになると、この「今」という状態が途方もなく苦しくなってくる。「早くこの現状を抜け出したい。どうか早く嵐よ過ぎ去ってくれ…!!」と言わんばかりに。 ぼくは今30半ばの歳でそれなりにいろんな経験をしてきたつもりだけど、その一方で3年ぶりくらいに猛烈な鬱波が襲ってきて苦しい。経験がどうのと言えどその時その時状況が違うので、対処法など身につけていない。 今少し文章を書く余裕が出てきてこうして書いているけ

          30代はネタフリ

          駆け抜けて原チャで

          誰よりも音速で、誰よりも止まらないで、ブレーキは忘れてどこまでも風になって原チャで。 美しく花のように、芳しく春のように、この35歳が一瞬にして18歳になったり6歳になったりする。爆速で次元を行ったり来たり。誰にも咎められないで、それなのに社会の一端でもあって、その皮一枚の寂しさを抱きしめていて。 土が滲む。詩が滲む。移ろいゆく故郷にジョウビタキがさえずる。 あなたが宮崎で、君は岡山で、彼は宮城で、何かを奏でる。その土地の土の音を鳴らす。その地の音、その地音(じおん)が欲しい

          駆け抜けて原チャで