愛すべき「もしも」の世界

※このnoteは、以下の作品のネタバレを含みます。ご注意ください。

・LALALAND
・マチネの終わりに/平野啓一郎
・秒速5センチメートル/新海誠

もしあのとき別の道を選んでいたら2人で生きる未来があった。そういう作品の切なさはたまらなく愛しい。そんな作品のおかげで、些細とも思える選択が積み重なって現実を作っていく残酷さや、だからこその尊さを感じる複雑な気持ちに出会う。

ただ、その「もしもの世界」に対しての捉え方は作品によって異なると思うのだ。

LALALAND

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夢追い人が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末のバーでピアノを弾くセバスチャンと出会う。彼はいつか自分の店を持ち、本格的なジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合うが、セバスチャンが生活のために加入したバンドが成功したことから二人の心はすれ違い始める……。

めったに映画を観ないわたしが友人に誘われてLALALANDを観たのは、もう3年も前のことだ。

誰もが感動するのは、やはり最後のシーンだろう。2人が別れてから数年後、セブの営むジャズバーにミアと夫が訪れる。ミアを見つけたセブはゆっくりと、2人の出会いの曲を演奏する。と同時に、2人が結ばれていた場合の「もしもの世界」が溢れ出す。待って、そんな切ないことしないでよ、と懇願してしまうほどに残酷な、「もしも」で留めるにはリアルすぎる場面が、息つく暇もなく展開されていくのだ。

2人は現状に満足していると思う。セブもミアも夢を叶え、加えてミアは新たな愛する人を見つけていた。曲が終わったあとの2人の表情は、違う未来もあったなぁと回顧しこそすれ、猛烈に後悔したり、やり直したいと本気で願ったりしてはいないと思うのだ。

”あのとき絶対にあなたが必要だったし愛していた。そういう時期もあったよね”と優しく懐かしむような、そんな気持ちが見てとれた。

マチネの終わりに

『マチネの終わりに』も「もしもの世界」が存在する最たる作品だと思う。

物語は、クラシックギタリストの蒔野と、海外の通信社に勤務する洋子の出会いから始まります。初めて出会った時から、強く惹かれ合っていた二人。しかし、洋子には婚約者がいました。やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまいます。互いへの愛を断ち切れぬまま、別々の道を歩む二人の運命が再び交わる日はくるのか──

引用:『マチネの終わりに』特設サイト

もし、洋子が日本に来る日が1日でもずれていたら。
もし、蒔野がスマホを忘れなかったら。
もし、早苗があのメールを送信しなかったら。
もし、その後にきちんと話して真相がわかっていたら。

確実に、2人でいる未来があったのだ。

蒔野と洋子は、それぞれ別の人と結婚した。互いへの気持ちは持ちつづけたまま、違う道を行くことを選択したのだ。自身の選択に責任を持ち、それぞれが懸命に別の道を進んでいく姿には感服した。

LALALANDと異なり、蒔野と洋子は存在していた「もしもの世界」を諦めきれていなかったのだと思う。別れてしまった直接の原因が自分たちではなく他の人にある点で、消えない後悔や猛烈なやるせなさがあるのかもしれない。

物語は2人がセントラル・パークの池の辺りで再会するところで終わっていて、結末はわたしたち読者に委ねられている。つまり、蒔野と洋子の「もしもの世界」は未だに存続していると思うのだ。

秒速5センチメートル

小学校の卒業と同時に離ればなれになった遠野貴樹と篠原明里。二人だけの間に存在していた特別な想いをよそに、時だけが過ぎていった。 そんなある日、大雪の降るなか、ついに貴樹は明里に会いに行く……。 貴樹と明里の再会の日を描いた「桜花抄」、その後の貴樹を別の人物の視点から描いた「コスモナウト」、そして彼らの魂の彷徨を切り取った表題作「秒速5センチメートル」。叙情的に綴られる三本の連作短編アニメーション作品。

わたしが新海誠さんの作品でいちばん好きなのが、この「秒速5センチメートル」だ。小学校まで仲が良かったが、片方の転校に伴ってだんだんと距離ができてしまう。小さいころは特に、大人の都合で人との縁が自然消滅してしまうことは少なくない。

だが残酷なことに、明里はその仲が良かった(お互いのことが好きだった)過去を思い出にできているが、貴樹はまだその過去を生きつづけているのだ。

「もしもの世界」を大切な思い出にできている明里と、未だ存続させている貴樹。2人の間で「もしもの世界」への捉え方が異なるとこんなにも切ない気持ちになるのだと、この作品が教えてくれた。

愛すべき「もしも」の世界

あのとき違う道を選んでいたら存在していたはずの世界。それは取り上げた3作品のような恋愛に限ったことではないし、程度は違えど誰もが抱えているものだと思う。

わたしが常々思うのは、「もしもの世界」を生きていたかもしれない自分にも責任を持って、今を大事に生きたいなということだ。そして実際に接点を持った人だけでなく、出会う可能性のあった見知らぬ人を含め、その世界で一緒にいたかもしれない人たちにも敬意を払いたい。出会うかもしれなかった人、一緒にいたかもしれなかった人。そういう人はたしかに存在していて、だからこそ今いる自分や周りの人を大事にしたいなぁ。


おわり

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