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仕事はじめる日記(2022年 冬)



世界と向き合うすべ


少しずつ、転職のことを伝えている。直接会ってご挨拶するフェーズをいったん終えて、今はメッセージで伝えている途中。

何回伝えても、うまく伝えられた感覚がない。

でも伝えながら思うのは、この選択をしてよかったということだ。

感受性が豊かなのかは比べようがないから知らないけれど、私の場合、取材では受け取るための窓を全開にする感覚がある。地方取材では特に。

その窓は、普段は閉めておく。日常で受け取りすぎてしまうと、まともに生きていけなくなるから。

受け取ろうとするとき、私は生身で世界と触れ合うことになる。

全身の感覚をするどく高めて、緊張の糸を張り詰めて、その土地で目にしたもの、耳にしたこと、感じたことをできるだけ記憶にとどめる。

だから旅先では、原稿が書けない。

取材ばかりしていると受け取るためのスイッチがオンのままだから、一度オフにできる場所に戻って、記憶と向き合う必要がある。

帰ってきて一回ゼロになる。フラットになってから記憶をたぐり、その文章に合わせた誰かや何かを自分の体内に入れて、文章を書き始める。

その文章に合わせた感情になって書くときに、もうボロボロに号泣することもある。重たい原稿のときは、よく泣いてきた。

みたいな書き方をしていると、だいたいは体の中で最も影響が出やすいパーツである胃から壊れていく。本当に重たい原稿の場合、完成してそのまま倒れ込んでしまうこともあった。

こんな書き方をしていたら、身がもたない。

いつか向き合わざるをえない現実を抱えながら、それでも走っていた。

生身の自分を削る書き方と、書くことで食べていく生き方なんて、相性が悪すぎた。

でも今はもう、自分の「受け取ってしまう特性」を食べることに使わなくてもいいんだと思うと、とてもほっとする。

見てみたい世界のために窓を開けて、表現したいことのために受け取ればいい。

今の仕事に出会えたことで、世界との向き合い方をまたひとつ、手に入れた感覚。

おかげでちょっとだけ、死ななくて済んだ、って思った。

過ごしてきた時間

いつも髪を切ってくれる美容師さんは、自分のブランドを立ち上げて洋服もつくっている。

ひさしぶりに洋服のお仕事をするときにブランクを感じるものなのか、それをどう乗り越えているのかを聞いてみた。

答えてくれたのは「身体は覚えている」ということ。

取り戻すのには時間がかかるけれど、そういうものだと思って準備しておけば大丈夫、という話。

言われてみれば、たとえば私にとってライターの前の仕事といえば店舗に立つ仕事で、通算4年半近く続けてきた。今でも接客の感覚は残っているし、必要になれば、店舗にあるべき立ち居振る舞いのスイッチを入れられる。

「ライターの仕事から離れたら、ライターのスキルは下がっていく」

それは間違いないのだろうけれど、ライターとして生きてきた4年半を、もう少し信じてあげていいのかもしれない、と思った。

あとは今の自分に合わせて準備してあげれば、それで大丈夫なんだと。

声を見つけた


待ち合わせ場所に向かって歩いていたら、聞き間違いようもなく、知っている人の声が聞こえてきた。

東京の街中で、声も音もこんなに満ちているのに、知っている声だけがくっきりと、聞き間違いようもなく耳に飛び込んでくるなんて。

昔好きだった人との再会する瞬間のようだけれど、現実は忘年会のはじまりの合図。声だけを頼りにしながら周りを見渡したら、すぐに待ち合わせに成功した。

声で誰かを見つける経験は、なんだか嬉しい瞬間だった。

きらきら


2022年の年末は、ひさしぶりに東京にいた。年末を東京で過ごしているなんて、たぶん東京を離れてから一度もなかったはず。

寒そうにしつつも楽しそうに、外でお酒を飲んでいる人たち。レンタルした着物を着て、いつもとは違う自分たちを楽しんでいる人たち。

とってもきらきらしていた。

東京がきらきらしているなんて、東京で過ごしていた自分も、東京から離れていた自分も、知らないことだった。

東京で過ごしてきた時間を、まるごと否定していた時期もある。その過去にひもづく東京という場所も、そこにいた自分自身も。

でも、東京ってこんなにきらきらしていたんだな、まだまだ知らないおもしろさがあるんだな、と気づき直せたのは、2022年の大切な変化だったように思う。

そのはじまりとして、東京の東側とはじめましてできたのは、とっても幸運な出来事だったなと噛み締めた年の瀬。



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