見出し画像

やっと、スタート地点に立てた気がした。 #ジモコロ5周年

自分の言葉で自分の思いを語れなくて、スタート地点にすら立てていないように感じていたあの頃。

でも何もはじまっていない気がしていたあの頃だって、ちゃんとつながっていたんだ。


* * *


2020年5月、Webメディア「どこでも地元メディア ジモコロ」が5周年を迎えていた。

ジモコロがスタートした2015年、私はローカルになんとなく興味がある大学生だった。

それから5年、ジモコロはローカルメディアの代表格として知られるようになり、私は地方取材に行くライターになった。

この5周年の後に声をかけていただき、これまで経験してきたローカル取材についてコラムを書かせていただいた。

今あらためて思うのは、ジモコロが誕生してからの5年間、私はその背中を視界のどこかに入れて追いかけてきた。

追いついてみたくて追いつけなくて、憧れのような、ちょっと悔しさを感じるような。

でもジモコロが王道にいてくれるから、後ろを走る者としてどうありたいのか、自分の役割を考えられる。

何よりも、このコラムを書けた原点には、ジモコロをきっかけに感じた「語れなさ」があったように思うのだ。

「自分にも何かできるかもしれない」と飛び込んだ

私がジモコロ5周年と聞いて一番に思い浮かんだのは、2016年の7月2〜3日に開催された #ジモコロ熊本復興ツアー だ。

2016年4月14日に熊本地震が発生してから一ヶ月後、ジモコロでこんな記事を読んだ。

記事で登場する熊本県南小国町の「黒川温泉」は、地震の後もほとんど宿泊可能だったけれど、“風評被害”によって観光客が激減していた。

ライター・編集者やブロガー、クリエイターなど、熊本県外の人たちを集めて、同じ日に集まって黒川温泉に泊まろうじゃないかと。とにかくお金を落として、ただ熊本観光を楽しむ。それが県外の人間にできる一番シンプルなことではないでしょうか。

こんなことを考えた人がいて、一人の思いから本当に大きな波がおきようとしていることに、心がふるえた。

「このイベントに参加したい!」というライター、編集者、ブロガー、クリエイター、メディア関係者、アーティスト、ローカルの活動をしている方々などなど…「参加したい!」という方、情報発信にご協力いただける方は柿次郎宛てまでご連絡ください。

この部分を、何度も何度も読んだ。

発信力のなさ。大学生だった自分の経済力。飛び込まない理由はいくつもあった。

それでも、この熱量のなかに飛び込んでみたい好奇心を捨てられなかった。

当時の自分にとって憧れのような情報発信者たちが一斉に集まって、どんなことがおこるのか見てみたいとも思った。

記事が公開された二週間後、意を決して柿次郎さんにメールした。

画像7

この長いメールに対して、柿次郎さんはすぐにお返事をくれた。

「仲間が増えるのは大歓迎なので、ぜひご参加ください」

このメールを受け取った私は、初めて熊本に飛ぶことになった。

たった一人では、「知ること」しかできなかった

ツアー直前、漫画家のカメントツさんが熊本取材をした記事が公開された。

カメントツさんが聞いてきた「現場の声」、現実を目の当たりにした揺らぎ。この記事から、心が離れなくなった。

スクリーンショット 2020-07-10 2.14.19

【漫画】熊本震災の「現場の声」を取材してきた話 より

ツアー自体は、土日の1泊2日で開催が決まっていた。土曜朝の飛行機に合わせて阿蘇くまもと空港に集合し、そのまま黒川温泉に向かうプランだ。

でもカメントツさんの記事を読んで、私はツアーの前日に熊本入りすると決めた。

飛行機の窓からは、報道のとおりビニールシートで覆われた屋根が見えた。一人で熊本に降り立ち、おそるおそる市街地へと向かった。



雨のなか一人で熊本の市街地を歩いた、あのときの写真はもう残っていない。

でもなぜだか、鮮明に覚えているシーンがある。

入れなくなった熊本城のすぐ横に広がる芝生エリアで、笑いながら下校するジャージ姿の高校生たち。

商店街では休業している店舗もあって、休業のお知らせの横には誰かの励ましの言葉が書かれていて。

一方で営業を再開していたお店もたくさんあった。何が名産品なのかわからなくて、なぜかうどんを食べた。

熊本地震の一ヶ月後に展示を再開した「熊本市現代美術館」に足を運び、「かえってきた!魔法の美術館」も観た。

そこではたしかに、数ヶ月前に地震を経験したであろう子どもたちが顔をほころばせている。


震源地から離れていた熊本市街地には、姿を変えた城を見上げながら、新しく動き始めた日常があったのだ。

私が一人で熊本の市街地でできたことと言えば、自分の視点でその瞬間の街を見ることくらいだった。

自分の言葉で、誰にも何も語れなかったあの日

翌朝空港に戻り、続々と集まってくる100人と合流した。

それからの旅路のことは、参加されていたみなさんのツイートにお任せしよう。

この2日間は、熊本のみなさんの全力のおもてなしを受けて刻々と参加者の熱量が大きくなり、「行っただけ」では終わらないであろう化学反応があちこちで発生していた。

このツアーでは、映像や文章、Webサイトを制作できる参加者たちが、ツアー後に熊本のことを発信しようと決めていた。彼らの発信から動き始めるであろうきっかけの予感に、心が踊った。

ここにいる一人ひとりが、熊本で受け取った熱量をより大きく、より熱く、より深く伝える力を持っているからだ。

一人で熊本の市街地を歩いた一日目と比べて、目の前でたくさんの物語が動き始めていた。

画像4

そんな彼らを前にして痛感したのは、自分の「語れなさ」だった。

自分が何をしているのか、を語れない。

それだけでなく、自分が何をしたいのか、この熊本で何を受け取ってどうしたいのか、どう生きたいのか。自分の言葉で、何も語れなかった。

仮にも大学4年生の夏、就職先が決まっていてもおかしくないタイミングで、一年後の未来すら描けていない私。

対して、すでに「私はこれをしています」と自分の言葉で語り、どんどん化学反応をおこしていく周りの参加者たち。

「Webメディアの有名人たちが一斉に集まるんだ」と思っていた多少のミーハー心は、早々に打ち砕かれた。

インターネットで見かけていた人たちを前にしても、自分の言葉で伝えられることが何もなかった。もしくは「記事を読みました」と感想を伝えるのが精一杯だった。

自分が、自分の思いを何も語れないこと。

一人では、何も行動をおこせていないこと。

この2つを強烈に思い知った2日間だった。

画像5

私が熊本に前入りするきっかけとなった漫画家・カメントツさんと

はじまる前から、はじまっていたんだ

それから4年の歳月が流れた。

大学を卒業した後、滋賀県に引っ越して初めての地域暮らしをスタートした。ライターとして、地方取材をした記事を書くようになった。

滋賀と取材先で人生の先輩たちと出会い、「何をしたいの?」「どう生きたいの?」と何度も問うてもらった。

おかげで少しずつ、「自分の役割」を考える道筋が見えてきたり、自分の言葉で語ったりできるようになった。

そうしてたどりついたのが、この記事だ。

自分のことを自分の言葉で書く、初めてのコラム。

その舞台は、4年前に「語れなさ」という自分の現在地を教えてくれたジモコロだったのだ。

たくさんの方々のおかげで、4年前には全く語れなかった「どう生きたいか」を自分の言葉で表明できた。

やっと、スタート地点に立てたような気がした。


でもあくまで、スタート地点に立ったに過ぎない。そして少し先が見えたからこそ、なおのこと思う。

100人の情報発信者を地震直後の熊本に集め、そこから数多くの記事が生み出されたあのツアーを実行できたのは、とんでもないことだったのだと。

一度取材で出会えた方々との関係を、その後も大切につむいでいく。

取材先にもう一度足を運ぶだけでなく、自分だけではできないことを一緒に実現できる仲間を連れて行く。

これが自分の役割だ、とまるで新しく思いついたかのように決意していたのだけれど、私はこういう編集者のあり方を、熊本ですでに目の当たりにしていたのだと。

画像7

ツアーの最後にみんなで行った広大な草原を頭の中いっぱいに描きながら、そうだったのか、と腑に落ちた。

あのとき自分の言葉で何も語れなかった悔しさも、スタート地点にたどりつくまでの焦りや迷い、寄り道も。

後からふりかえれば、きっとぜんぶつながっている。

「スタート」と言ったけれど、何もはじまっていない気がしていたあの頃だって、はじまっていたんだ。


だからこれからも、迷ったときはいつだって決意表明に戻ってくればいい。

スタート地点に立てなかったあのときの自分が受け取ったものを、思い出してみればいい。


また語れなくなるときが来たって、立ち止まっているように思えるその瞬間も、必ずその先につながっていく。

だから自分で「はじまった」と思えるまで、動き続けてみればいい。


ぼくが言いたいこと、それは「黒川温泉だけでいい」ということです。自分一人にできることは限られている。自分の力を注ぐ対象がなぜあの人ではなくこの人なのか、そのことを考えすぎる必要はありません。陳腐な言葉を使います。それは「縁」です。縁としかいえない。自分に助けられる人は限られている。そして、あの人ではなくこの人を助ける。それは縁としか言いようがないことです。そして、それでいい。

(中略)

黒川も熊本もそれ以外も、全部全部助けるにはみんなで手分けするしかない。同じバイブスに貫かれた人たちが、それぞれの人生のなかで偶然出会った人たちをそれぞれ助けるしかないんです。そして、助けた人はきっと自分を助けてくれます。そんな関係性を社会のなかでいくつもいくつもつくっていかないといけない。

(中略)

自分ではない誰かの人生のために、ポジティブバイブスを振りまきながら、小さくてもいいから、自分にできることを考えてみてください。情報よりもバイブスです。バイブスを振りまいてください。かっこいい大人とはそういうものじゃないですか。そうぼくは思っています。

自分ではない誰かの人生のために。#ジモコロ熊本復興ツアー に参加して。(2016/8/1)


こんどは自分が、「かっこいい大人」になっていくために。


画像6

遅ればせながらあらためて、ジモコロ5周年おめでとうございます。

そして4年前にツアーに参加させてくださって、今回コラムの機会もくださって、ありがとうございました。

これからもジモコロの背中を追いながら、自分なりに考えて言葉にした自分の役割を担うべく、じたばたもがいていこうと思います。


走るぞ〜〜!

アイキャッチ・記事中最後の写真 / Kenichi Aikawa

言葉をつむぐための時間をよいものにするために、もしくはすきなひとたちを応援するために使わせていただこうと思います!