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この人生で、どれだけの約束を引き受けられるのだろう

自分が担う役割のことを、よく考えるようになった。そして、今の方法では担いきれない役割もあると痛感する瞬間があった。

そんな2020年だった。

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これは2020年最後の出張で行った釧路湿原。

ひとりで記事を書いているわけじゃない

2020年10月、工房一斉開放イベント「RENEW(リニュー)」に参加した。

新型コロナの影響で多くのイベントが中止を決めるなか、RENEWは7月の時点で現地開催に踏み切った。

「くたばってたまるか。」というコピーとともに。

そしてコロナ時代。年内廃業の可能性が約4割と、伝統工芸の窮状が叫ばれている中、それでもこの街は前を向いて行動する。もう一度知恵を絞り、これからの時代に合った新たなアクションを。さらに変わり続ける産地のチャレンジをぜひ見て欲しい。

変わり続ける産地の、変えていく未来。
私たちの大きな熱量が、誰かの灯火になるように。

RENEW2020 ホームページより一部抜粋)

この宣言は、どんよりしていた夏に大きな勇気をくれた。そして、決断の後ろで責任を引き受けている彼らを想った。


鯖江で暮らしている森一貴くん(以下、もりちゃん)と出会って以来、鯖江には何度か足を運んでいた。RENEWの運営メンバーにも知り合いが増えていった。

2015年の立ち上げ以来ずっとRENEWに関わってきた事務局長のもりちゃんが、2020年を最後に運営から離れることも聞いていた。

だから、2020年のRENEWに行こうと決めていた。大切な友人たちが、コロナ禍でイベントを開催するリスクを引き受けてでも描きたい未来を、見たかったから。


そう思っていたら、編集チームHuuuuからオファーをいただき、RENEWの当日レポートを執筆することになった。もともと遊びに行く予定だったRENEWに、仕事として行かせてもらうことになったのだ。

オファーの内容は、イベント前に開催に至るまでをもりちゃんが執筆し、イベント後に参加者として私が執筆する、というもの。

「森さんがあげてくれた原稿、お見せしますね」

そう言って編集者さんが見せてくれたのが、この記事だ。

あらためて、もりちゃんの文章がすきだなぁと思ったし、彼にとってこれが最後のRENEWなのだと感じずにはいられなかった。


大切な友人が5年以上関わってきた、大切なイベント。

顔の思い浮かぶ人たちが、リスクを引き受けながら開催すると決断したイベント。

そのイベントのことを、彼のバトンをつないで、私が書けるのか。


プレッシャーがぱんぱんに膨れ上がった。


それでも、引き受けた以上は書くしかない。

3日間にわたって開催されるイベントに、3日間いることにした。できるだけ多くの工房に行けるように、スケジュールを組んでもらった。

開催直前でとても忙しいなかで「いい記事になるように協力したい」と言ってくれたもりちゃんに、工房やワークショップのまわり方を相談した。

もりちゃんが「ぜひ話を聞いてみてほしい」と言って、RENEWの実行委員長に当日のアポをとってくれた。


そうして迎えた当日。

1日目、久しぶりに会ったもりちゃんに、記事のことを相談した。

私がプレッシャーを感じた記事のことを、「さすがにスラスラと言葉が出てきたね」と言っていた。そうだよね、ずっとRENEWに力を注いできたんだもんね。

そして彼は、笑いながら言うのである。

「ひゃくさん(私)は僕よりいい記事を書いてくれるんでしょ? だってライターだもん」

こう言ってくれるもりちゃんの気遣いを、ひしひしと感じた。何も言われないほうが救われない。なにより、私が記事を書けるように、彼はすでに彼のできることをぜんぶやってくれていた。

あとはもう、私が書くしかないのだ。ひとりで。

そう思っていた。

2日目、実行委員長へのインタビューを終えた夜。鯖江に住む友だち、なおちゃんと話せる時間があった。

「今回のRENEWのこと、もりちゃんの後に書かせてもらうの、すごくプレッシャーで」

気づいたら、そうこぼしていた。

そしたら、なおちゃんは間髪入れずにこう言ってくれたのだ。

「ひゃくちゃん(私)に書いてもらえることになって、本当によかった」


鯖江に何度も来てくれて、私たちのことを知っているひゃくちゃんに書いてもらえることになってうれしい、と言ってくれた。

まだ、1文字も書いていないのに。

でもこのとき初めて、2020年のRENEWを、書けるような気がした。


私は決して、ひとりじゃなかったのだった。

当たり前と言えば、当たり前かもしれない。

地域におじゃまさせていただくこと、インタビューして人生の話を聞かせてもらうこと。

私の仕事は、託してくれるひとがいなければ決して成り立たない。

「あなたに、託したい」

そうやって託してくれるひとがいるから、書けるのである。だから私は、ひとりで書いているわけではない。

なおちゃんの言葉が、そう思い出させてくれた。

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もりちゃんやRENEWのみなさんが託してくれたバトンを受け取って、なおちゃんの言葉をお守りに、私は記事を書き上げることができた。

なおちゃんに読んでもらえて、すごくうれしかったよ。


自分が自分として、その場にいる役割

「あなたの目線で、見てほしい」

そう声をかけてもらったこともあった。

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滋賀県長浜市で観音文化を発信している観音ガールに同行して、市内のお堂を見学させてもらった。住職がいないお寺の不動明王像をお世話している集落のみなさんに、お話を聞かせていただく。クローズドな場だ。

このときはもはや、仕事でもない。他のメンバーは市役所やNHKから来ていて、私だけメディアを持たないフリーランスである。

それでも、発信しなくてもいいから、と彼女が誘ってくれた。

「ひゃくちゃんの目線で、見ていてほしい」

それが、彼女のお誘いだった。

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主なテーマは、虫食いがひどい不動明王像の修復について。500万円以上かかる修復費をどのようにして集めるか、観音ガールが提案していた。修復に関連して、取材メンバーもいくつか質問をする。

集落のおじさま方には、彼女と一緒でなければお会いできない。せっかくの機会なので、私からも質問してみた。

「不動明王さまは、どんな存在なんですか?」

そしたら幼い頃からここで育ってきたおじさま方から、たくさんの昔話があふれてきた。

「悪いことをしたらお堂に連れて行く、と言われてね」「昔は丑三つ時にひとりでお参りに来る人がいて、音が怖かったんだ」

そんな話の後に、こういう言葉が出てきた。

「この集落を出ていく若い人らにとって、地元を思い出せる存在になったらいいね」

おじさま方にとって不動明王がどんな存在なのか、少し近づけた気がした。

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帰り道に観音ガールが、「ひゃくちゃんだから聞けたことだね」と言ってくれた。むしろ、彼女がクローズドな場に私を引き込んでくれたおかげだと思う。

でも、仏教にも観音さまにも詳しくない門外漢の私が、その空間にいて担える役割があるのかもしれない、と教えてもらった。

もっと約束を実現していくために

地方に憧れながら東京で育ち、滋賀で初めての地方暮らしを始めて、2年3ヶ月を過ごしてきた。

地方取材を始めてからは、1年半が経った。各地のプレイヤーに会いに行く機会が増え、同時に滋賀で密着取材も続けてきた。1年の対話を重ねたから書けた記事もある。

以前はどのエリアに行くときも、「地域におじゃまさせてもらっている」という意識が、ネガティブな意味で強かった。誰かの大切な地元を消費していないか、搾取ではないのか、罪悪感と闘っていた。

でも2020年1月に伝統工芸について取材したとき、工芸を知らない自分が記事を書く意味は何なのかを必死に考えるうちに、「書く」に見出す意味が変わった。

自分がそこにいることを、少し肯定できるようになった。

書くことで次の誰かにつなぐ、という自分が担うべき役割を見出せるようになったからだ。

「役割」について考えるようになってからすぐの取材先が、北海道の東側だった。未知のエリアに体当たりしながら、自分が見られるもの、持って帰れること、受け取れるものを必死に探した。

そうして書けた記事は、自分が書く意味があったんだと言えるものになった。

取材をするとき、書くとき、主体は自分である。

その逃げようもない事実と向き合った上で、主体である自分を、前よりも信じられるようになった。今の自分が書く意味を、見出せるようになった。

そう、強度が増した。解像度が上がった。

見えるようになったものがあるから、見えなくなっているものもある。現実として、滋賀暮らしを始めた当初は新鮮だったものが、ずっと新鮮に感じられるわけじゃない。変化を感じていた。

だから自分の視点を過信せずに、他の視点から見える世界の話をもっと聞かせてもらおうと思うようになった。

その人が受け取れるものがあり、私は私として受け取れるものも、確実にある。そう思えるようになったからだ。

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自分の役割を意識するようになったからこそ、この人生で大切にしたいことは何なのか、自分が力を発揮すべき場所はどこなのかを考えている。


「あなたに託したい」と思ってくれた人に渡されたバトンを、大切に受け取って、次の人につなぎたい。

「あなたに見てほしい」と言ってもらった場で自分が受け取れるものを、最大限に受け取りたい。

できればその場で終わりにするのではなく、同じ方向を目指せそうなら、その先の道へと一緒に歩き始めたい。


託していただいたバトンを、次につなげること。これは私にとって、人生を賭けたい約束なのだと思う。

だから、託してくれる人と、託してもらったバトンと、託してもらっているという事実と、全力の誠意を持って向き合いたい。自分にバトンを託してくれる人との約束を、ひとつずつ実現していきたい。


このコラムに書いた約束をまだ果たせていないし、他にも実現できていない約束がたくさんある。

一生をかけて果たしていけばいい、と思っていた。

でも私がのろのろしているうちに、2020年にこの世を離れた方が、すでに1人ではない。ああ、私はあの約束、守れなかったと思いながら生きていくんだな。


「自分が受け取った約束は、ひとりで果たさねばならない」と思っていた。

でも私が受け取ったものを次につないでいくためには、「私が書く」だけが唯一無二の方法ではない。むしろ、それだけでは足りない、ちっとも間に合わないことばかりだ。果たせていない約束が積もっていく。

「書く」ことでスタート地点に立ったとして、書き終わった後には違う役割が必要な場合も多い。ライターを続けるなかで、私は「これからが楽しみだ」と書いてそれでさようなら、にはしたくない、と思うようになった。

もちろん、「これからが楽しみだ」をたくさん見つけてたくさん発信する役割を担う人もいて、その役割がなければ始まらない物語がある。そういう役割の人がいてくれるから、私は別の役割を選ぶことができる。

私は「楽しみだ」と書いたその後に、取材させてくれた方と一緒に未来へ進んでいきたい。そういう役割を担いたい。

それはもう、私ひとりでは足りないんだと思う。


じゃあ、どうすればいいんだろう。

「私が」書く以外の方法が最適な場合もあるし、「書く」以外の方法が最適なときもある。個人ではなくチームのほうが加速させられる場合もある。「書く」の次の手段を用意できたら、もっと遠くに飛べるかもしれない。

そうしたら、ひとつでも多くの約束を実現できる。ひとつの約束を、もっとたしかな未来につなげられる。


そう思えるようになったのは、同じ方向を目指しながら、大切なものを一緒に大切にできるひとたちと出会えたからだ。


そういう意味での、今年の抱負です。

なぜかハートがついてびっくりしたよ。もっと牛をちゃんと書けばよかったんですかね。

ライターに向いていないという言葉に語弊があるのなら、食べるためにたくさん書こうとすると、私の場合おそらく死んでしまう、のほうが正しいのかもしれない。果たせていない約束の重みで、自分をつぶしてしまう。

「書く」以外の約束の果たし方が必要だし、もっと得意なことで約束を実現できるなら、その方法もフル活用したい。


だって、記事を書くことが目的じゃない。私は、約束を未来につなげる方法のひとつとして、書いているのだ。

そう思うようになったのが、専業ライターとして生きたこの3年間だった。

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もちろん、これからも書くよ。

託してくれる方がいる限り。果たしたい約束がある限り。


むしろ、書き続けるために「力の使いどころを絞る」、そして「未来につなぐ仕事をする」2021年に。


ああ、今回の取材は、覚悟を決める旅だったのかもしれないな。もう、未来につなぎたい仕事しかしない、って。

3月に書いたこの言葉を、心に刻みながら。


2021年も、どうぞよろしくお願いします。


(アイキャッチ/タニショーゴ

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