プロスポーツチーム専属の管理栄養士になれた理由|私の競技歴ときっかけ
元アスリート、体育大学助手、腸活講師
プロスポーツチームスタッフも経験した
管理栄養士の『コンディショニング栄養学』
・学生アスリートの栄養教育支援
・アスリートのセカンドキャリア支援
・治療家トレーナーの栄養コミュニティ
これらの活動の一貫として
スタートします🙌🏼
どんな人物なのか、
どんな人生歩んできたのか、
どんなことをしたいのか、
知っていただけたら嬉しいので
\ まずは自己紹介から /
高校時代は県で総合優勝する高校の
陸上競技部に所属🏃♀️
個人では県大会準優勝🏅
駅伝では区間新記録更新など
それなりの結果を出した裏側には
相応の代償もありました。
本当はもっと上を目指したかった、
アスリートとしての当時の想いも
リアルに描写しています。
◼︎小学校時代
もともと、足は遅かったのですが
小学校のときマラソン大会の練習会で
ビリに近かったことが悔しくて、
当日まで走り込んで
上位になれた経験から
努力する事で、
自分が成長したり
周りに感動を与えられることに
楽しさと嬉しさを見出し、
向上心を持つ事、
目標に向かって努力する事、
結果として現れやすい
走ることが好きになりました👏
◼︎中学時代
優勝校だけが県駅伝に出場できる
地区の駅伝大会ではアンカーで、
1位の学校とはかなり離されており
2位で襷を受け取ったところから
ゴール寸前で大逆転して
ゴールテープをきることができました🏆
チームメイトも家族も
応援してくれてた全校生徒も先生も
地域の皆さんも、それはもう大歓喜です🎉
競技を通して自分がこんなにも
人を喜ばせることが出来るなんて
夢にも思わなかったです。
県大会出場の切符を掴みとり、
もっと上を目指せるように
なりたいなという想いが強くなりました。
また、中学時代は姉が個人で
東北大会へ出場したことをきっかけに
特待生で強豪校に進学していく姿をみて
憧れ、自分もその後を追いかけました。
◼︎高校時代
県で総合優勝する高校の
陸上競技部に所属。
より、士気の高い環境に身を置くことで
自分の意識も高くなりました。
毎日の練習に、筋トレ、食事、睡眠、動作、呼吸、感覚、疲労度なども欠かさず記録し、
振り返りと考察。
コンディションを調えるための生活、
治療院に通い、筋肉に電流を流してもらう、
酸素カプセルに入る。
栄養学を勉強、食べ物にこだわる、
調子が良くなる食べ物と飲み物自己分析、
お菓子を食べない、貧血治療の通院。
自分に合うシューズ探し、
コンディショニングアクセサリーを身につける、やる気が出る音楽を聴く、ストレッチをする、動画でフォーム分析など。
生活の全てを、
競技の全てに捧げてました。
その甲斐もあり、
個人では県大会準優勝、
東北大会決勝進出、
駅伝では区間新記録更新など
成績を伸ばすことが出来ました💪🏼
この頃は楽しいだけじゃない、
毎日が自分との闘いで、
どれだけストイックになれるか。
しんどくて、苦しくて辛い日々もある。
けれども、
同じ熱量で練習に取り組み、
応援し合う。
仲間のベスト更新、決勝進出、
表彰を喜び、讃える。
敗れて泣いてる姿をみても
これまでの努力をリスペクトして、
自分もまた頑張ろうと思える🤝
乗り越えたからこそ、
得られる感動がある。
そんな日々に夢中でした。
◼︎進路の選択
高校3年の月日はあっという間です。
目標にしていたインターハイ出場は
叶えらなかったので、
まだ挑戦したい気持ちもゼロではなかったし
全日本大学駅伝の強豪から
オファーをもらいましたが、
当時体脂肪率は10%を切っており
(女子では危険を伴う数値)
女性アスリートの三主徴
エネルギー不足、無月経、骨粗鬆症リスク
これらの悩みを抱えていたことから
将来の身体のことも考え
競技人生を諦めると同時に、
一番関心のあった栄養学を通じて
"本気のアスリートをサポートしたい"
その想いから、
スポーツ栄養士の道を志しました。
スポーツ栄養の世界は狭き門。
就職先などなく、
スポーツ栄養士として
アスリートに携われるのは一握り。
『栄養士』のカテゴリーでみると
就職先は病院、学校、保育園、施設などの献立調整や衛生管理など、やりたい事とは程遠く、興味すらなかった。笑
私は『アスリート』目線で、
コンディションレベルを
高くする方法を知りたい、
アスリートの資本となる
血液や筋肉を良い状態にする
生理学を学びたい
一般書では学べない
もっと緻密な栄養学を知りたい
疲労が溜まるメカニズムを知りたい
女性特有の月経、摂食障害に
なぜ陥ってしまったのか知りたい
メンタルを鍛えるための
スポーツ心理学も興味がある
栄養士の現場じゃなく
スポーツの現場で働きたい
などと言った理由から、
国家資格が取れる
管理栄養士養成校には進学せず、
『体育大学』に進学することを
選択しました。
陸上漬けだった私の、
第二の人生がスタートしました。
▼続編はこちら
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