なんだかんだ結局は情熱だという話
今日は面白い話を聞いた。
編成という部署がある。新しい番組企画の中から実際に放送する番組を選ぶ部署だ。
当然、彼らの元には多くの企画が集まる。そしてそのほとんどが外れるわけだが、中には高視聴率を取ってレギュラー化したりする。
企画を多く見て、考えて、判断している編成マンはやがて自分でも企画の良し悪しが分からなくなってくるらしい。
これはよくわかるのです。
自分では「これはいけるぞ!」という番組がコケたりする。
逆に「これはどうなんだろ」と半信半疑のような番組がヒットしたりする。
放送するまで分からないのが企画だしテレビ番組なのだ。
そんなことが繰り返されれば、自分の審美眼だって怪しくなってくるもの。
ここで、大事になってくるのは企画を持ってくる人間の熱なのだという。
放送作家やディレクターたちの「これは絶対に面白い!」という熱があると心が揺れるらしい。
「ああ、そんなもんか」と押し切られて例えば編成が求めている企画じゃなくても通ったりするのだ。
今日はそんな話が出た。
つまり、相手が要求している企画を出すのはとても重要なことだ。
しかし、それ以上に大事なのは企画発案者の熱であり、情熱なのだ。
論理に勝る情熱を僕もだしていきたいのであーる。
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