世界は、社会は、国は、みたいな”大きな主語”で語れる気がしないのだ。

SNSなどを通じて多くの写真や情報を目にしても、戦争について簡単に怒りや悲しみを表現するに至らないでいる。どうしても想像してしまう。住んでいる街に戦車や爆発物が飛び交う光景や、自分の大切な人を失うことを。もしそうなったら、怒りや悲しみ以上に茫然としてしまうだろうから。

だから今、非難や批判、デモやボイコット、寄附などの言動や姿勢を持てないでいる。いち早くそういう共感的な発言や振る舞いを示すことが"社会的に"正しいと評されることなのだろうけど。

僕は現実を何も知らない。

情報から想像することくらいしかできず、想像できてしまうことよりも遥かに恐ろしいことを誰かが体験しているのだろうと、また想像しては、何も言えなくなってしまう。

戦争だけじゃなく、災害でも事故でも、病気や不幸でも同じだ。
それがいつでも家族や仲間や自分にも起きることだとしたら。誰かの身に起きてること、もしも自分に起きたらと想像すること、そのどちらも息苦しくて、世界は、社会は、国は、みたいな大きな主語で語れる気がしないのだ。

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