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脱コレクター思考。器や道具を作ってもらい、長らく使う人について。

また少しずつ、器が増えてきた。

祖父の趣味と実益を兼ねた活動を引き継ぐ、というか、そのライフワークを僕なりに再設計するつもりだ。

ぐい呑、猪口、酒器。

最近では、皿や茶碗、グラス、鉄器、土瓶、窯や鍋、包丁やナイフまで、作家さんを見つけては作ってもらうようになった。ただ誤解がないようにお伝えすると、

僕はコレクターでも、美術界の人間でもない。

むしろ、アートや芸術作品を語る文化人ヅラしている人や、まるで自分がアーティストやキュレーターになったかのように振る舞う、小銭パトロンやギャラリーオジサンを心の底から嫌悪している。これは批判と受け取ってもらって構わない。(←お金の次は名誉だからオジサンはこっちに行きやすくて。醜いのよね。)

その点、祖父は社交的な、ただの酒飲みだった。

うちの祖父は飛び回る仕事の中で、趣味で酒と器を探し、その作り手に会っていただけだった。今となれば著名な作家さんでも、「知り合ったのは、名も無き若手の頃だったよ」とご本人から聞いたこともある。祖父のことだから、「目が利いた」わけではなく、酒が美味しく飲めそうな器に「目が眩んだ」だけに違いない。

ただ、全てに共通していることがある。

それは「いつ・どこで・誰から買ったものかという記録が付けられていること」と「全て使ってあること」だ。色がすいぶん変わってしまっていたり、継いで直してあったりするものも多い。

確認するのが大変なほどの数があるが、全て並べれば祖父の足取りを辿れるかも知れない。しかし、呑兵衛の足取りを辿っても千鳥足だろうし、たまさか黑歴史を紐解いてしまうかも知れない。空気を察する孫(←僕w)は、そんなことをするほどヒマでも愚かでもない。

が、再開するにあたってやることと言えば

僕も各地を歩くことから。

仕事柄、すでに全国を歩いているし、ついでだ。そこにいる作家さんと出会って、自分が使ってみたい道具を譲ってもらう(作ってもらう)、というシンプルな活動。そんなだから、

人間国宝や高名な作家モノも要らないし、
骨董屋が売りたがる年代物も要らないし、
コレクター品のオークションも要らない。

僕が会いに行ったり、紹介もらったりすると、必然的に世代が近くなる。つまり、作家さんとしては明らかに若い世代(20〜50代前半)がほとんどだ。

その作り手さん自身が「これは好きだ」とか「攻めた・挑戦した」作品の中から、気に入ったものだけ買わせてもらっている。安いものだと数千円、数万円だけど、高いときには軽く二ケタ万円はする(滅多に買えないけどね…)。それでも少しずつ、おもしろい器が増えている。

僕自身には器や道具を買い集めているという意識はない。作り手さんに会って、話して、出会った記念や毎年の挨拶をしている感覚だ。これがまた心地が良い。

器を買うのは、投資や転売が目的じゃない。できれば、

☑時間があれば、その器で作家さんと飲み交わしたい。
☑友達へのプレゼントとかも、そういう器にしたい。
☑普段の食事や飲みが一層アガるだけで良い。

祖父の言葉を借りるならば、
使いもしないモノを買うな」だ。

身の回りにあるものが、各地に行った思い出を蘇らせてくれたり、気鋭の作り手さんとの出会いを感じられたりする人生を送りたい。器が少しずつ変化して行ったり、欠けたら金継ぎなどで直すのもまた楽しいじゃないか。

難しい知識は要らない(僕も大して知らないw)。器に興味あるよ、良い道具を増やして日々使いたいよ、って方は、一緒に活動しましょ。

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