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それは日常の、ユナイトするカルチャー

石田昌隆さんの写真展、とても良かった。

写真の舞台は、ロンドン・ブリクストン。
まさに映画「バビロン」の舞台である南ロンドンだ。

「バビロン」は去年一番食らった映画だった。

同様の、音楽・社会・街を描いた映画のなかでは、NYを舞台にした「アザーミュージック」や「All the streets are silent」などのドキュメンタリー映画たちも去年観た中では印象深かった。
どちらの映画も「街」を考えていくうえで貴重な資料だった。

ただこれは「食らう」という感覚とはまた少し異なっているなと思った。

「バビロン」のエンドロール直前、主人公であるブルーを逮捕するために、警察官たちがジャーシャカとブルーが対決しているクラブに乗り込むシーンがある。

警察が突入してパニックになった会場の音がしばらく続いた後、突如ブルーの声もサウンドも全ての音が止まる。

この一連の動きは何を意味するのか。
それは、ユナイトするためのカルチャーが権力によって制圧されてしまったということ。

あまりに象徴的かつショッキングであったため、エンドロールが流れている間涙が止まらなくなる。

Fuck the Babylon.
よく聞く言葉だが、改めて大事なステイトメントだと思った。

それと同時に、私たちは構造的な差別、不平等な社会、暴力について考えることを止めてはならないとも強く思った。
とにかく、歩みを止めてはならないのだ。

私のレビューでショッキングな映画だと思われた方もいるかもしれないが、仲間たちと音楽やダンスを楽しむシーンは比較的ピースフルな場面も多かったと思う。

なぜなら、音楽やダンスは彼らにとっての日常であり、ルーツやアイデンティティを確かめるものでもあるから。

石田さんの写真は、まさにそのような市井の人々の息遣いやリズムを切り取っていた。

サウンドシステムを運び出す姿、レコードショップの前でブレイクダンスをする子どもたち。

写真はすごいと思った。
その記録は、40年前の姿で私に語りかけてくる。
もちろん被写体の視線の先にあるものは、カメラを構えたカメラマンの瞳孔かもしれないし、レンズかもしれない。またはカメラから視線をそらした上で、家族や恋人を見ているかもしれない。

それでも当時の彼らは、私と目があった瞬間に何かを語り出しそうなぐらい生き生きしていた。

気付けば私もゲットーに迷い込んでいた。アンプを改造しているからか、近くあるサウンドシステムからは異様に響く音が出ている。
そうして、音をかいくぐりながら彼らの話に耳を傾けていた。
私たちの生きている社会を考えるために。彼らを忘れないために。

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ライターの松永良平さんが石田さんを取材した記事の中で石田さんが、「60年代アメリカの公民権運動に着目していた人は写真家の吉田ルイ子さんなどがいらしたんですけど、UKに関しては日本ではあんまり手がつけられてなかった。」と語っていたのが印象的だった。

NYが吉田ルイ子であれば、ロンドンは石田昌隆なんだと思う。

神泉から歩いて10分ほどの場所にあるJULY TREEというギャラリーで25日まで開催中とのこと。

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