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ANGEL

「事務的なお話になるのですが…」
訪問診療の医師に祖父の状態を連絡して戻ってきた看護師が、重々しく切り出す。

「当社、エンゼルケアも行っておりまして、ご家族様と一緒にお身体を拭いて、お着替えをさせて頂くことができるんですね。(訪問診療の)先生は到着まであと30分ほどかかるようなので、その間に一度事務所に戻って準備して参ります。どうでしょう、いかが致しましょうか?」

「そうですか、じゃあお願いします」
承諾すると、その場で正方形のメモ用紙に基本料金や延長料金を書いて渡してくれる。けっこう高い。
ていうかエンゼルってなんだよ、祖父がエンジェル? 

先ほどまで温かかった祖父を、急にエンジェル扱いしてきた看護師に少し腹が立った。

予定より早く医師が到着し、至極簡単な事務処理として死亡診断が進む。
そして医師が帰った直後、先ほどの看護師が再び祖父の前に現れた。

「お待たせいたしました。まず私の方でお鬚を綺麗にしますので、その間に温かいタオルと旅立ちの時に着て頂きたい洋服をご用意してください」

「ママ、やっておいて」と、これらの指示は全て母に投げる。

私はベッドの柵に顔を乗せて、ゆっくりと髭が剃られていく祖父の顔を見続けていた。
007スカイフォールで、ジェームズボンドがマネーペニーに髭を剃ってもらっているシーンのようだった。祖父はボンドと同じぐらい、微動だにしなかった。

市内の別の場所に住む叔父が、週に一回のペースで祖父の伸びきった髭を剃ってくれていた。
しかし、去年の年末に私と祖父がコロナの濃厚接触者になったため、叔父がしばらく立ち寄れなかった。
結果的に祖父は、まだらな剃り残しと2か所の切り傷がある顔面で年を越すことになった。私のやり方も下手だったが、あの日の祖父はボンドと正反対だった。

髭剃りをして全身を拭き終えると、身体に残った尿や便を出す処置に移る。
看護師が下腹を押さえて、最後の尿を絞り出す。その後、横を向かせて腸内に残った便を指で掻き出し始めた。

祖父は、直腸内に手指を入れて便を取り出す摘便という医療行為を幾度となく経験していた。
その度に大暴れして、介助している周りの家族や摘便中の看護師を引っ搔きまくるので、摘便があると必ず負傷者が出た。
薬では解決できない形で便が詰まると食欲不振になるため、半年に一回は行っていたと思う。

ただ、理由がどうであれ肛門から指を突っ込まれるなんて絶対に嫌だ。嫌に決まっている。

「痛いね、嫌だね。でもあと少しだよ、呼吸止めない。吸って~、おじいちゃん、吐いて~。まりなのこと見て、まりなの真似して」と言いながら、大袈裟に口を大きく開けてすぼませる動作をする。
そんなことをしても結局抵抗されて、私も負傷者の一人になるだけだった。

コロコロとした便が次々と掻き出される。
引っ掻かれないから、時間をかけてゆっくりと背中をさする。

身体に残ったものを出し切り、綺麗に洗濯された普段着を着せる。そして最後に、化粧を施す。

「ファンデーションとチークと口紅を持ってきてください」
と看護師から指示があった。ファンデとチークはいつも使っているもの。リップは迷った結果、赤色が強くて私の肌には似合わなかったケイトのリップモンスター01を差し出した。

化粧をされていく祖父をまた眺める。ファンデもチークも良い感じに肌に合う。リップモンスター01も、私より全然映える。

身体を綺麗に拭かれ、死化粧をされても、祖父がエンゼルだということに納得がいかない。
なんで?なんでそちら側に行ってしまったのだ、と思うと再び涙が溢れ出す。

永遠に乾くことがないのではないかと思うほど水分量が多くなった目で祖父を眺めているうちに、鼻筋がスッと通っていることに気付く。
伊達男だなぁ…

そういえば「眼鏡はしないが伊達な男」という言葉があったような気がする。なんだっけ、ことわざだったような。

違う違う。Febb as Young Maison「ANGEL Feat.AZ」のラインだ。

じきに私の頭の中では、イントロの元ネタであるStacy Lattisaw “Let me be your angel”のサビのメロディが流れ出す。

そしてイントロの最後に、Febbは確かこう言っていた。
I’m come here to save you.


写真 鳥野みるめ

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