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ふれる、さわる、感じる

マンサンダルのことを書いているからか、友人に足もみの会に誘われた。

それは、官足法というもの。樹脂製のボツボツがある板を踏むのにはあんまり興味を持たなかった。けど、小さな木製のグッズで足裏を押していくのは少し面白かった。

基本的には反射区やツボを刺激していく、溜まったものを流していくというもので、最初は痛いですよー、みたいな。
けど、ちょっぴりそこに抵抗を感じている。

noteに書こうと思いつつ忘れていたけど、4月の初め、東京から友人がやってきて彼女の目的の長野県立美術館に一緒してきた。

展示風景

齋藤名穂さんというアーティストによる、長野県立美術館を視覚でなく触覚で体感してもらう試み・プロジェクト。美術館というのは視覚にフォーカスした場所である。たとえ立体物や彫刻があっても触っていけないことも多々ある。
そこで、小さなサンプルキットを提示して、視覚障害のある方でも作品や美術館の質感、いろんな素材感の違いを確かめて楽しめますよーという提案だ。

なるほど、なるほど。面白いけれど、その小さなプレゼン形態になんとなく少しさびしさを覚えた。それはまず、触れるのは手が主になると思うけど、それだけ?手だけなの?っていうこと。そして視覚的にコンパクトでかわいらしい触覚体験オブジェ…ほんとにそれ?その形なの?って。

その前日、たまたまYouTubeで見つけた、さとう式リンパケアというのをいくつか試していた。

さとう先生は、肌に触れるときはほんの軽いタッチで、触れてない位の繊細な感じで触れると話していた。肌やリンパはそれだけ敏感なのだそうだ。実際やってみると、ツボ押し的に強くしなくても顔はゆるみ、何か変化しているように感じた。

いくつかYouTubeで試しただけだが、さとう式のやわらかな、微細なタッチという感覚を持ったまま、この美術館の「ふれる」体験展示に出会って、なんだか雑な展示だなと感じてしまった。(面白い試みだとは思うけど)

さらに、足もみに戻ると「痛いところをほぐすのがいい」という。悪いところがあるから痛いのだ、と。そこには「あなたには何かいけないところがある」という決めつけや前提があるように、あまのじゃくなわたしは感じとってしまう。

ただ、ふれる、さわる。
意味や効果がなくったって、ただ、ふれる、さわるだけで、もうそれだけで充分にいろんな情報と体験があるんじゃないかな。

やさしく、手を当てる、ふれる。それだけでも感じるもの、流れ、動いていくものがあるように感じている。
大げさでなくていいんだ。
そっと微細に、ふれる。さわって、感じてみてほしい。

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